2003年8月(出発から1年4ヶ月め、インド滞在時)以降、
随時トップページに掲載されてきた近況報告の過去ログを、年毎にまとめてあります。
本日は、日頃からタビフーフを応援して下さっている皆様に、大切なご報告があります。
私達は、現在滞在中のペルーのリマにて、
これまで五年半に渡って続けてきた世界一周の旅を、一旦、中断いたします。
旅の再開予定は、もしかしたら数ヶ月後、多分きっと数年後。
次回はここリマから再出発し、日本まで、
ワンウェイ&陸路での旅路を必ずや繋ぎ、世界一周を達成したいと思っています。
それまでのしばらくの間は、タビフーフ番外編。「何処か」の国で、「何か」するつもりです。
「何処か」と「何か」については、また追々明かしていくとして・・・・・・。
とにもかくにも、今後ともタビフーフをよろしくお願いいたします!!
そんなわけで、今夜これから久々にヒコーキに乗ります。
なんせ乗り慣れないので、とても緊張しています。
ちゃんと乗り継ぎできるかな〜(ドキドキドキ)。
アマゾン河支流のジャングル地帯から、アンデス山脈を越え、海辺の首都・リマまで続く道。
短時間のうちに車窓の風景がどんどんと変わっていき、
ペルーの旅の面白さをまたひとつ実感・・・・・していたところまでは良かったのですが、
標高4,700mの最高所に達した時、崖崩れによる突然の道路封鎖に巻き込まれ、
水も食料も手に入らない峠で、足止めを食らってしまいました。
土砂の撤去作業は遅れ、バスの中にいても夜は凍えるほど寒く、
乗客の子供達は空腹に泣き騒ぎ、大人達は高山病に苦しみ、携帯電話を助けを求め、
特におばちゃん達は激高し、なんの非もない運転手を怒鳴りつけ、他の車両にも当り散らす。
ちょっとした遭難現場の様相でした。
私達は、体は高地に順応してたし、防寒具も水も食料も充分持ってたので、
非常時におけるペルー人の生態を観察しながら、静かに復旧を待ちました。
結局、所要18時間の予定が、46時間かかってリマに到着。
バス移動の最長記録をまたしても塗り替えました。
イキトスからプカルパまで五泊六日の船旅。
その途中で大河は「ウカヤリ川」へと名前を変え、私達はアマゾンの長い戦いを終えました。
ブラジル側と合わせると計二週間以上、ただただ船に揺られ、
マナウス〜サンタレン間の約600kmを除いた、アマゾン本流の約八割をやっつけました。
大西洋横断や南極へのクルーズの時とは違い、なんのアクティビティも、刺激的な景色もなく、
ただひたすら茶色い流れをぼへーっと眺めて時間をやり過ごすだけの、暇との戦いでありました。
たまにピンクイルカが水面に背を出すと、その興奮をおかずに小一時間ねばったりもしました。
さて、これからペルー側のアマゾン河に挑む方に、大切なご忠告があります。
イキトス発着の船には泥棒が多数います。ほんっと沢山います。気をつけましょう!
私達が直接知っているだけでも、ここで被害に遭った旅人が何人もいたのに、
地元の人達からも散々「とても危ないから気をつけるように」と注意を受けていたのに、
タビフーフ、不覚にもやられてしまいました。
ちょっと目を離したほんの一瞬の隙に、飲みかけのジュースを!
むぐぐぐぅ〜〜〜(←悔しさを音で表現しています)。
はい、被害は飲みかけのジュース一本、いや、半分は飲んでたから正確には半本だけでした。
「ジュースくらいええやん」と思いますか?
ところがこれが、意外に腹立たしいというか、せこすごて許せないというか。
おかげで、これまで大好きだったペルーを、ちょっと嫌いになりました。
ペルーに入って物価が再び安くなり、また、雨季も始まってブラジルよりいくらか涼しくなりました。
イキトスはあまり治安の良い町ではなく、旅行者を狙った盗難や詐欺も多発していますが、
物価のおかげか、気候のおかげか、すっかり気が抜けてしまっています。
熱帯雨林にしかない幻の赤バナナ(クリーミーで旨い!)をがっつり食べ、夏バテはほぼ解消。
久々にキッチン付の安宿で自炊三昧したので、次なる船旅に向けての栄養補給も万全です。
そう、イキトスは熱帯雨林の奥深くに位置するため、周辺は道路が未整備で、
大陸にありながら、船でしかアクセスできない陸の孤島なのです。
ここまで長い時間アマゾンを下って来ましたが、ここから脱出する方法もまた、船のみ。
正直、もう船旅は飽きたっ!こっそり飛行機で飛んでしまいたい気持ちも山々ですが、
ここまで来たからには最後まで、げっぷが出るまでアマゾンを堪能して参ります。
三国間国境からスピードボートで11時間、ペルーのイキトスまで上ってきました。
大好きなペルーなので再入国を楽しみにしていたのですが、
イミグレで少々もめちゃって、30日の滞在許可しかもらえませんでした(通常は90日もらえる)。
最近どうもビザ関係に泣かされっぱなしです。
そして本日、「イイフーフ」の日。
結婚九周年のお祝いに、ペルー名物のインカ・コーラで乾杯しています。
思い返せば、八周年目はブラジルのカンポグランジで、沖縄ソーキそばを食べながら、
七周年目はアンゴラで、ヒッチハイクしたトラックの荷台に揺られながら、
六周年目は一時帰国中の日本で、家族といちごショートケーキをつつきながら、
五周年目はトルクメニスタンの愛の街で、黄金のトルクメンバシュ像を眺めながら、
四周年目はネパールのカトマンズで、チベットを共に越えた仲間達と過ごしました。
来年は一体どこで、どんな人達と過ごすことやら。
マナウスから、ブラジルとペルーとコロンビアの三国間国境まで、アマゾン河を上ってきました。
同じ行程を”下る”と通常、三泊四日でマナウスに到着するそうですが、
私達はアマゾンの流れに逆らったため、倍の六泊七日かかりました。
今回は長丁場だったので、ハンモックはやめて、キャビンを奮発。
広い船室内にエアコンもテレビも冷蔵庫も揃った、快適な船旅でしたが、
毎日決まった時間に同じ内容の食事(ぱさぱさの米とパスタとぱさぱさの肉)が続いたので、
今、陸に降り立ち、好きな時に食べれて幸せ、汁っぽいもの食べれて幸せ、です。
おっとそうそう、いつの間にか期限が切れていたブラジルビザの件ですが、
国境では、不法滞在のお咎めもなく、ビザのチェックすらなく、さらっと出国できました。
なんだ楽勝じゃーん。はっはっはっ。
でも、良い子は真似しないでね!
暑さのためか体調を崩し、エアコンの効いた宿のお部屋でぐだっと過ごしているうちに、
いつの間にかブラジルのビザが切れてました。
もしかしてもしかすると不法滞在者のタビフーフです。こんにちは。
そんなこんなもあり、暑いし湿気すごいし、物価高いし、ポルトガル語ちんぷんかんぷんだしで、
今、一刻も早くブラジルを出たいです。
体はまだ万全ではありませんが、明日から再び、アマゾン河を上る船に乗ります。
ブラジルのマナウスにて、嫁、体調不良につき静養中。
九泊十日でギアナ三国を抜け、ブラジルに戻ってきました。
ギアナ三国のラストを飾ったガイアナは、昔々はイギリス領でしたが、
現在では全人口の50%以上がインド系、残る45%がアフリカ系という、驚異の人種ハーモニー!
聞いただけで訪れてみたくなる(でもどちらかというと避けて通りたくなる)、
魅惑の(でもどちらかというと恐怖の)住民構成を誇る国です。
そのカオスっぷりたるや、さすがインド。従業員のやる気なさっぷりは、さすがアフリカ。
そのカレーっぷりは、さすがインド。他のギアナ二国と比べても格段の貧乏っぷりは、さすがアフリカ。
久々に、馬鹿馬鹿しくて、笑えて、ちょっとしんどい旅でした。
ギアナ三国の真ん中、スリナムまで来ました。
私達が愛用している某ガイドブック(ロンプラ)は、首都のパラマリボについてこう言っています。
「パラマリボでは可能なかぎり頻繁に食べなさい、なぜならここの食はグレートだから!」
スリナムのみならず、ギアナ三国には黒人が大勢暮らしています。
かつて奴隷として連行されてきたアフリカンの子孫達です。
そして奴隷制が廃止された後、新しい働き手としてスリナムに移り住んだのが、
インド、ジャワ(インドネシア)、中国からやって来たアジア系移民達。
彼らが持ち込んだバラエティー豊かな食文化は、彼らと共にこの地に根付き、
パラマリボでは、アジア料理の食堂や屋台が軒並み大人気です。
私達も、一昨日はインドネシア料理の屋台でナシゴレンとミーゴレンを、
昨日は南米一旨いと評判の餃子を堪能して参りました。
本日はこれからインド料理のロティを楽しんでこようと思っております。
スリナムとはそんな美味しい楽しい国です。
あとは、お隣はフランス領でしたが、ここは元オランダ領です。
とはいえ、元宗主国のオランダ系白人は人口の1%も残っていません。
オランダ植民地時代そのままの街並みは世界遺産にも登録されてますけど、
ま、どうでもいいか。花より団子、街並みより餃子よね!
以前、あるフランス人旅行者に、
「日本は過去の植民地政策について反省せず、謝罪もしていない。とても良くないことだ!」
と説教タレられたことがありますが、
そんな私達が今いるのは、フランス領ギアナです。
フランス領ギアナは、17世紀初頭の入植開始から現在に至るまで、フランスの植民地です。
ギアナですから、国土の大半が原生林のジャングルで、
一歩町を離れると、その辺から恐竜が出てきそうなワイルドな風景が広がっていますが、
フランスですから、密林を貫く幹線道路は完璧に舗装され、人々は鼻声でフランス語を話します。
カイエンヌは人口五万人足らずの小さな首都ですが、ちゃんとマクドナルドがあって、
クレープ屋台からは甘い匂いが漂ってきます。
南米なのに南米じゃない、ヨーロッパなのにヨーロッパじゃない、なんか不思議な感じ。
サンタレンから船でアマゾン河を下ること32時間、河口のマカパに到着しました。
マカパは世界でも珍しい赤道ど直下の街で、宿に居ながらにして赤道ライフが堪能できます。
とは言え、特になにが赤いわけでもないので、
「あ、そういえばここ赤道だっけ」と時折思い出す以外は、やたら蒸し暑いだけの普通の毎日です。
ここのところ長時間移動が続きました。
計算したら、ブラジルに再入国してから十日間で、合計102時間も乗り物に乗ってました。
今夜もこれから夜行バスで移動です。
そんな旅立ち2,000日目。
いつも応援ありがとうございます!
アマゾンを〜 横断できなきゃ〜 縦断するのみ〜 (字余り)
クイアバからサンタレンまで、バスで一気に北上してきました。
所要二泊三日、43時間30分。
バス移動の自己最長記録を大きく塗り替えました。ああ、しんど。
大半が未舗装道、しかも座席が最後列だったので、ものすご〜〜く揺れました。
ちなみに、これまでのバス移動最長記録は27時間30分。
やはりブラジルの、リオデジャネイロ〜サルバドール間でした。
ブラジルでかっ!
ちなみにちなみに、ポルト・ベーリョからクイアバ経由でサンタレンまで、
合計で65時間30分のバス旅のお値段は、二人で48,160円でした。
ブラジル高っ!
こんにちは皆さん。今日はまずお手元の世界地図を広げてください。
ブラジルの内陸部は、生い茂る熱帯雨林に開発を阻まれ、今もその大部分が未開の地ですが、
その真ん中をすぱーっと横切るのがアマゾン横断道路、その名もトランスアマゾニカ。
世界地図にも堂々とその道筋と名を載せるアマゾンの大動脈、トランスアマゾニカ。
ところが私達は未だかつて一度も、この道を通ったという人に会ったことがなく、
この道に交通機関があるという情報も得られませんでした。
しかーし、絶対にバスがあるはずだ!だって赤線(幹線道路)だし!これだけアピールしてるし!
と、一路の望みをかけてポルト・ベーリョの街に降り立った私達ですが、
バスはなく、それどころか、噂によるとまだ一部工事中らしいです、この道。
おいこら!工事中ならもっと控えめに地図に載ってなさいバカ!
というわけで今、大迂回中。用もないのにクイアバまで来ちゃった。
ところで、ご自宅に世界地図をお持ちでない方は、
次回の授業までに百均で購入しておくように。宿題です。
手元に世界地図があると、タビフーフのサイトが従来の三倍(当社比)楽しめます。多分。
ピンク色の淡水イルカ君達と一緒に泳いできました!わーいわーい。
興奮しすぎてアマゾンの川の水をがぶっと飲んじゃったけど。
テンション上がったところで、さあ次!と思ったら、タイミング悪くボリビア名物のストライキが勃発。
道路にバリケードが作られ、幹線道路の交通は全面的に遮断、
ネットカフェはおろか郵便局もない辺鄙な町で、三日間も足止めを食らってました。
昨日ようやく大好きなブラジルに、約十ヶ月ぶりの再入国。
物価はいきなり四倍(当社比)になったけど、
バスにエアコンが効いているし、相変わらず皆さん超親切です。
サンタクルスからトリニダー、そしてルレナバケへ。いよいよ大アマゾン地帯に突入しました。
ボリビアというと、アンデス山脈を擁する高地の国、というイメージが先行しますが、
実はその国土面積の六割以上がジャングルだそうです。
先日までいた高地の茶色いハゲ山とは打って変わり、この辺りは緑いっぱい。
コーヒーミルク色の川がゆっくり流れ、太陽は赤く、人々の顔は濃い黄肌色で、
なんか懐かしい感じがすると思ったら、東南アジアのベトナムやラオスにそっくりです。
近隣の村々の焼畑の煙で空気が真っ白く、青い空が見えないのはちょっと残念。
明日から数日は、アマゾンの支流にピンクイルカを見に行ってきます。
そしてそのまま北上して、大好きだけど物価が高い”あの国”に再び・・・・・。
一気に標高400mまで下がりました。冬からいきなり夏です。あぢい。
クスコでもラパスでも、寒い寒いもう高いところは嫌だ〜〜、なんてわがまま言ってましたが、
そうだった、私、暑いの苦手なんだった。
ここから先はずっと夏を旅します。涼しいところはもう当分ありません。
しかも夏ということはあれです。Tシャツの季節です。薄着の時代です。
これまで着込んでた上着を一気に脱いだら、お腹の脂肪がぼんよよ〜〜〜〜ん。
あああ、ああ、ああああ。ジーパンにのっちゃってるよ。あああ。
ボリビアのスクレにいます。小さな街ですが、憲法上はここがボリビアの首都です。
標高は2,800mまで下がり、空気はいくらか濃く、気候は穏やかになりました。
町並みは白く美しく、まるでスペインの地方都市に来ちゃったみたい。
スクレに限ったことではありませんが、南米の街や町は、そのほとんど全てがスペイン風です。
もともとはスペインに統治されていたので当然なのですが、
スペインにやられるまで一体どんな町でどんな国だったのか、全く想像もつかないほどで、
完膚なきまでに破壊されてしまった以前の文化や暮らしに、なおさら思いを馳せてしまいます。
歴史に「もしも」はないけれど、もしスペインが来なかったら、もし植民地にならなかったら、
私達が歩いているこの土地は、今とは少し違う景色だっただろうかと。
「奴らを信用するな。奴らは笑顔でやって来るが、後ろ手に武器を隠してるんだ」
試しにスペインについて聞いてみたら、肌の浅黒いボリビア人男性がこう答えてくれました。
スペイン軍がこの地にやって来てから500年近く経った現在も、
ボリビアの先住民(インディヘナ)達の怒りは、まだ完全に鎮まってはいないようです。
やって来ました、標高4,070m。ここポトシは世界で最も空に近い都市です。
東京と比べると酸素の量は約六割しかありません。
ラパスにしてもそうですが、ボリビア人はなぜわざわざこんな息苦しい場所に住むのしょうか。
その秘密は、深い深い穴の中、暗闇のその奥に。
ポトシは、その裏山で採れる数々の鉱物に支えられ、高地ながらも発展を遂げてきました。
今なお現役で稼働中のその鉱山に、私達も今日、鉱山労働者達と一緒に潜ってきましたが、
マスクをしても咳き込むほどの土埃、鉱物の放つ臭気、湧き出る地下水、ぬかるむ足元、
ツルハシとスコップでの手作業、坑道を爆走するトロッコ、そしてまた舞い上がる土埃・・・・・。
たった数時間坑道を歩いただけで、体中どろんどろん、鼻の穴は真っ黒になりました。
ここポトシの一般的な鉱山労働者達は、平均で二十年ほど暗闇のなかで働き、
その多くは、肺の病気で早死にしてしまうそうです。
一年ぶりにビザの申請をしました。
三ヶ月ビザ申請したのに一ヶ月分しか貰えなかったけど。くぅ〜〜〜!!
まあいいや。とにかくラパスでやることは全て終えました。明日出発します。
さようなら、けんちゃん食堂。さようなら、ブルーベリーズ・カフェの世界一のテリヤキチキン。
毎日旨かったよ。ラパスありがとう。
生まれて初めて生でプロレスを見ました。ボリビアのルチャ・リブレ。
男子レスラーはそれぞれコスチュームを着けていますが(スパイダーマンとか軍曹とか忍者とか)、
女子レスラーは、どこにでもいそうなインディヘナのおばちゃん。
三つ編みにバルーンスカートというお決まりの民族衣装で、飛んだり、投げられたりします。
足技を繰り出す度にスカートが華麗にひらひら〜、お、パンツ丸出し。
寝技をかけられる度にスカートがめくれ、お、これまたパンツ丸出し。
悪玉レスラーには、桟敷席の野次馬達からおかしやペットボトルが投げつけられたりして、
涙あり笑いあり、観客大興奮の一夜でした。
ここんとこ嫌な事件続きでものすごく人間不信になってます。
そんなわけで本日のタビフーフはどよーんとしています、ご了承ください。
最初の事件はペルーのプーノにある日本人宿で。
これまで旅行者の手でこつこつと書き溜められてきた情報ノートのうち一冊が、
宿の従業員によって隠され(もしくは捨てられ)ました。
私が睡眠時間を削ってノートに残した六頁分の手書き情報も、心なく破り捨てられました。
ここの従業員達はいつもにこにこと愛想が良く、親切で、旅行者からの評判も上々です。
でも、にこにこしながら捨てていました。
次の事件はここボリビアのラパスの宿で。
ある日、空から小さな命が落ちてきました。まだ飛ぶこともできないハトの雛。
どうやら巣から落ちたようなので、みんなで可愛がって育てていましたが、
昨日、なんの前触れもなく、宿の従業員によって殺され、ゴミ箱に捨てらました。
やはり、いつもにこにこと愛想が良い、評判の良い従業員に。
彼は私達の前ではいつも優しいおじさんを演じ、小さなハトを親身に可愛がるふりをし、
姿が見えないと心配するふりをし、必死に探すふりをしていました。
でも、にこにこしながら殺していました。
人間て恐ろしい。笑いながら裏切ることができるなんて。
旅も人生も楽しいことばかりではありません。
とりあえず今、夕陽に向かって叫びたい気分です。
先日のペルーの大地震では、アドベ(日干し煉瓦)造りの建物の多くが倒壊したとか。
刑務所も倒壊し、600人もの凶悪犯が脱獄したとか。
その脱獄囚の一部が再逮捕を逃れるために国境を越え、ここラパスに潜伏しているとか。
ラパスはもともとあまり治安の良い街ではないけれど、今、いつにも増して危険な状況だとか。
ラパスでは防犯のため、どこに行くにもタクシーを使ってます。いやあん、超リッチい。
ちなみにこちらのタクシーの最低運賃は、日本円にして約30円です。
ボリビアのラパスにおります。
と書いただけで、鋭い旅マニアの方は「タビフーフまた沈没かい」と思われたでしょう。
そう、ラパスは南米で一番、いえ、世界でも有数のバックパッカー・パラダイス。
物価は安いわ、宿は快適だわ、日本食は旨いわで、多くの旅人達を虜にしてきた街です。
今回はそれほど長居するつもりのない私達も、
とりあえず「世界一旨い」と評判のテリヤキチキンだけは食っておくべく、ラパスにやって来ました。
すると、私達より一足先にクスコを出発し北上していったはずの加倉さんと、なぜだか再会。
やはりペルーで涙ながらにお別れし北上していったはずのくるりんふうふとも、なぜだか再会。
あれれれえ、なんでみんなここにいるわけ?
まあつまり、戻ってきてしまうくらい居心地が良い街、ということのようです。
インカ文明発祥の地、チチカカ湖周辺をふらふらしています。
チチカカ湖は海抜3,800m超の高地にあり、
富士山よりも上、つまり日本には存在しないほど高い場所に、その水面が広がっています。
総面積は琵琶湖の十二倍と広大で、その六割がペルーに、四割がボリビアに属しています。
とにかくやたらとスケールのでかい湖です。
よく「海に浮かぶ小島」などと言いますよね。
と言っても本物の島は絶対に水には浮かびませんが、
チチカカ湖には、本当に浮いている島々があります。
トトラという浮き草で作られた人工の小島には、今も実際に、ウル族の人達が暮らしています。
試しに島の上で走ってみたら、草の地面がゆうらゆうら揺れました。
船酔いする人は住めそうにない島でした。
ペルーを旅したことのある日本人バックパッカーのうち、
だいたい半数がペルーを「大好きだ」と言い、残りの半数は「大嫌いだ」と言います。
私達は(これだけ長いことペルーにいるわけですから言うまでもありませんが)ペルーが大好きで、
多くの人達がなぜペルー嫌いになるのか、ずっと不思議に思ってきたのですが、
今日、プーノの街角で靴を磨いてもらったら、いつもは1ソル(40円)の磨き賃を「5ソル」と言われ、
ペルーを嫌いになった人達のその理由が、少しわかった気がしました。
もちろん私達は怒り、大きな声で靴磨きのおじさんに抗議しました。
すると周囲で靴を磨いていた紳士達や、通りすがりの奥様達や、同業者の他の靴磨きまでもが、
「本当は1ソルだぞ!」「こいつは悪者だ!」「警察を呼ぼう!」と、一緒になって怒ってくれました。
そういう一般の人達の暖かさが、私達がペルーを好きな理由でもあります。
三ヶ月前に立ち寄ったイカで、マグニチュード8.0の大地震があったそうです。
私達も昨夜、宿の自室で地震を感じました。小さな揺れでしたが、けっこう長く続きました。
私達は無事で、私達が今いるオリャンタイタンボ(すごい名前の町ですが)にも被害はありません。
沢山のメールとメッセージありがとうございます。ご心配おかけしました。
さて、クスコやマチュピチュの周辺には、インカの末裔が暮らす美しく小さな町が点在しています。
オリャンタイタンボ(舌を噛みそうですが)もそのひとつ。
ここの市場には、近隣の村々から、民族衣装の老若男女達が集まってきます。
世界各地に、民族衣装を着て観光客に撮影させては、小銭を稼ぐ素人モデルはいますが、
オリャンタイタンボ(オリャンタンタイボと言ってしまいがちですが)の皆さんは、素です。
普通に、普段から、その格好で生活してます。
見るからに重そうな衣装に、今にも落ちそうな帽子をちょこんと被って。
彼らは伝統を守り続けています。不便なこともあるだろうに。
赤を基調としたカラフルな衣装は、荒涼とした高地の山肌にきりっと映えます。
彼らを見ていると、日本人が着物の生活を捨ててしまったことが、とても残念に思えてきます。
日本では、行ってみたい観光地アンケートでピラミッドを抜いて一位になったそうですが、
実は私達は(旦那はともかく嫁も)、マチュピチュに対して、そこまで熱くありませんでした。
なので、「近くまで来たしどうせなら」というくらいの軽い気持ちで、昨日マチュってきました。
素晴らしかったです。写真400枚撮りました。
とりわけ早一番の、ワイナピチュにかかった朝靄がすっと晴れる一瞬。
今後マチュピチュに行かれる方は、頑張って早起きして、早朝6時の開門と共にダッシュ!
一日のうちで最も神々しい瞬間を絶対に見逃さないで!!
買っちゃった。列車のチケット。
言ったでしょ、そろそろ出るって。
昨日、クスコで足繁く通ったお土産物屋に、出発の挨拶をしてきました。
優しいおかみは「寂しくなるわ」と言って、超高級アルパカのマフラーを私にプレゼントしてくれました。
不覚にも泣きそうになってしまいました。
クスコは南米一の観光タウンで、連日これでもか!ってくらいの観光客がやって来ますが、
市場や街角で出会う人達は皆、ほんわかしてて、素朴で、全然スレてませんでした。
私はこの街が大好き。路地の立ちション臭と犬の放置うんこさえなければ、もっと好き。
私はおかみに「絶対また来ます」と言いました。
その約束は、いつか必ず実現できることでしょう。
ペルーの郵便事情はなかなか良好で、私達はここクスコで計四回も救援物資を受け取りました。
日本からの小包(EMS)は概ね五日でクスコに到着します。
東芝君のハードディスクも無事に手元に届き、早速大手術を決行。
分解して、患部に新しい部品を移植して、縫合して、ドキドキしながら電源を入れると、
ああ、東芝君!東芝君が息を吹き返したよ〜!しかも以前よりパワーアップ。
というわけですのでそろそろ、本当にそろそろ、クスコを出発します。
高度のせいでしょうか。 クスコに来てからこれまで、旦那のパソコンはぶっ飛びっばなしでした。
その度にあの手この手で復旧してきましたが、
昨夜、ぶっ飛び六度目にして、ついにお逝きになられました。
現在ジャパンよりパーツ取り寄せ中。旦那は凹み中。
では、東芝君の最期の仕事となった短編動画劇場の新作をお楽しみください。しくしく。
前回、ホームページをリニューアルして以降、
数名の友人から「俺(私)はカレー味のうんこ派だねー」という内容メールが届き、
動揺を隠し切れないケメコです。こんにちは。
えっと、本当は今日は「クスコの路地がいかに糞尿だらけか」を話題にしようと思ってたんですが、
下の話ばかりになってしまうと品格を疑われそうなので、女の子らしく。
遊び友達が一人、また一人とクスコを去り、すっかり寂しくなりました。
私達もそろそろ出発の準備にかからないと、と自分の尻を叩く意味もこめて、
目に付いたお土産物を片っ端から買い漁っている今日この頃です。
そう、クスコの街はかわい〜〜雑貨の宝庫。
カラフルな布製品、リャマを模った土器、なんか気味の悪い人形など、眺めてるだけで楽しくて、
お店を数軒はしごすると、あっという間に一日が終わってしまいます♪♪
先日も超プリティ〜〜〜な雑貨をあれこれ買って、るんるんの帰り道、
旦那が、路上に放たれたばかりの新鮮な犬のうんこを思いっきり踏ん・・・・・(以下自粛)。
どうも皆さん、叶恭子です。いえ、気分はすっかり叶恭子のケメコです。こんにちは。
クスコにアパルトメントを借りて一ヶ月。住み心地が良いので契約を更新しようと思ったら、
もう次の入居者が決まっているということで、追い出されました。
今はまたいつもの安宿生活してます。叶恭子なのに。
今回、短い間ではありましたが、「暮らし」を体験してみて気付いたこと。
自分(達)専用の台所があるというのが、いかに快適で幸福か。
自分(達)専用のトイレがあるというのが、いかに快適で幸福か。
生活用品をいちいちバックパックにしまわずに済むということが、いかに快適で幸福か。
自分の部屋でNHK(衛星)の大相撲中継を観られるということが、いかに快適で幸福か。
南米の大家が、いかにいいかげんか。
これ読んで「もう日本さ帰ってきたら?」と思われた方がいるかもしれません。私もそう思う。
けどー。せっかくホームページもリニューアルしちゃったしー。
もったいないからもう少しタビフーフやりまーす。よろしくう。
最後に一言。魁皇ガンヴァレ。
お祭り月間が去り、クスコの街に平穏な日常が戻ってきました。
さてクスコに停滞すること一ヶ月、
祭っている以外の時間、私達は一体なにをして過ごしていたかというと、
美味しいケーキを出すおされ〜なカフェを発掘して喜んだり、
美味しいチョコクロワッサンを遠くまで買いに行ったり、
美味しいセビッチェ(ペルー風・生魚のマリネ)を遠くまで食べに行ったり、
夜のアルマス広場で絡んでくる酔っ払いを無視したり、
落馬事故でリハビリ中の世界くるりん宅(同じアパート内)を見舞ったり、
と大変忙しく、というかまぁ、お察しのように特に何もしてなかったわけですが、
ひとつだけ頑張りました。全身整形手術してました。ホームページの。
そんなわけで、この姿で皆さんにお会いするのは、きっとこれが最後です。
次の更新で、美しく生まれ変わった新しい私をお見せすることができるでしょう。
イメージは叶姉妹です。姉のほうです。妹のほうは乳がデカ過ぎるのでちょっと。
クスコお祭り月間のメインイベント。
南米三大祭りのひとつに数えられる「インティライミ」が、盛大に行われました。
役を与えられた市民達がそれぞれ、王とか王妃とか家臣とか下々の者に扮し、
インカの時代の儀式を、実際のインカ時代の遺跡の上などで再現します。
一言で表現すれば、大人の学芸会。よくできた素人参加型ショー。
熱狂のカルナバル!って感じでは全然なかったけれど、それはそれで面白かったです。
実は、旦那はインティライミの前日から風邪をひき、嫁ひとりで参加してきました。
これを観るためにクスコで長いこと待ってたわけですから、
「あら旦那さん、かわいそうね〜」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、
うちの旦那は本来、お祭りとかクラブとか賑やかな場所が好きじゃないし、
クスコに来てからの連日のお祭り三昧に、そーとー飽き飽きしていたようなので、
ベッドでぬくぬくする正当な口実ができ、とても幸せそうでした。
おかげで今はもう、すっかり元気です。
クスコは標高3400mの高地にあり、空気が薄いので、
急ぎの旅行者はかなりの確率で高山病にかかるそうです。
実際これまで、道端で外国人がぶっ倒れるシーンに何度か出くわしました。
私達はクスコに来てそろそろ一ヶ月が経ちますが、
坂道を上ったり、早足で歩いたり、ペルー名物のピスコサワーを一杯ひっかけると、
いまだに息がハァハァしてしまいます。
あと、パソコンやらカメラやらが立て続けに不調をきたしています。
気圧って人体だけじゃなく電子機器にも影響するみたいです。
そういえば、新居のホットシャワーがぬるくて困ってます。
これももしかしたら気圧のせいかもしれませんね。
大家が毎日「明日修理するよ!」といいかげんなこと言うのも、
ボリビアから来たバックパッカーが全員お揃いのズボンをはいてるのも、
レストランで出てくる英語メニューがスペイン語メニューの倍の値段なのも、
あ、最近また少し脇腹に脂肪がついたのも、
多分きっと全部、気圧のせいだと思います。
いきなりですが、クスコでアパルトメントを借りました。
とりあえず一ヶ月間の契約。今日、引越しを済ませたところです。
とても素敵なお部屋なので、激しくウキウキ中です。
クスコにお寄りの際は是非遊びに来て下さい。
クスコは明日もお祭りです。広場に金銀の山車が何十台も出るでしょう。
アンデスで行われるコイヨリッティ(星と雪の祭り)に行ってきました。
祭が行われたのは、クスコから車で山道を5時間、
そこからさらに馬の背に揺られること2時間の、標高4300mの山奥。
この南米一の奇祭を、クスコから往復21時間かけて日帰りで見物してきました。
どこから沸いて出てきたの?というほどのアンデスのインディヘナ達が、
険しい山道を何時間もかけて登り(彼らは馬は使わず自力で歩きます)、
それぞれにカラフルな衣装を身に着けて、神に踊りを奉納する。
やけに苦しいお祭りだと思ったら、一種の苦行なんだそうです。
私達も無理なスケジュールでぐだぐだになりましたが、行った甲斐がありました。
(掲示板にコイヨリッティの情報を下さった山田さん、ありがとうございます!)
ところがその帰り道、世界くるりんのアツシくんが、暴走した馬から落ちて負傷。
すぐ横は崖だし、地面はごつごつの岩場で、
なにかがちょっと違っていれば、まじで命を落とすところだったの!
現在、アツシくんは順調に回復中。
杖を使って、クスコのペンション八幡の中を、上へ下へとうろうろしています。
ほんと、生きてて良かったね、アツシくん。ネタ的にもおいしすぎるぞZO!
かつてのインカ帝国の都、クスコにやって来ました。
ここにはしばらく滞在し、今月いっぱい続くお祭りシーズンを楽しむ予定です。
昨夜は、南米で超人気の民族音楽バンド「カルカス」のコンサートに行きました。
彼らは本来ボリビアのバンドですが、ペルーまで海外ツアーに来ていたのです。
これまでのフォルクローレ(民族音楽)の印象を覆す、熱狂のタテノリライブ!
メンバーに向けられるギャル達の黄色い声援、まるでスマップ並みの人気!!
実はこの「カルカス」には、チャランゴ奏者として日本人男性が参加しています。
そして彼こそが「カルカス」のキムタク。
テクニックとルックスを兼ね備えた大スターなのです。
ギャルの声援を一身に受けて日本人が演奏するフォルクローレ。
観ている私達も当然ノリノリで、しかもなんだか鼻高々でした。
ナスカから北へ二時間ほど行ったところに、ワカチナというオアシスがあります。
砂丘の谷間にぽっかりと、まるで絵に描いたようなオアシス。
ここに泊まると、ルール上、大きな遠回りをしなければならなかったのですが、
立ち寄ってみて良かった!地上絵がイマイチ物足りなかった方は是非どうぞ。
現在はペルー内陸部を遠回り中。アヤクーチョという町に来ています。
アヤクーチョには、フジモリ大統領の時代まで満足な道路が通ってなかったため、
観光大国・ペルーにしては珍しく、旅行産業に冒されていない素朴な街です。
街並みは植民地時代そのままのヨーロッパ風、人々はほんわかフレンドリー。
通りすがりに寄っただけの街ですが、すっかり気に入ってしまいました。
アレキパからナスカにやって来ました。あの、地上絵で有名なナスカ、です。
地上絵は地面に描かれていますので、通常、セスナ等で上空から鑑賞します。
私達も当然、ナスカに来たからには当然、地上絵を見ようと思っていたわけですが、
ここまで来て飛行機に乗るのもなんかやっぱ悔しいので、セスナはやめました。
でもね、ちゃんと展望台から見てきましたよっ!
あの”超”有名なナスカの地上絵をっ!
・・・・・・・・えーと・・・・・・・意外にしょぼくて・・・・・・・・・とてもびっくりしました!!
ピ-------完治しました。沢山のお見舞いメッセージありがとうございました!
私達はまだアレキパでのんびりしています。
街並みは美しく、気候も良く、とても居心地がいいのです。
でも、そんなこと言ってられるのも今だから。
実はこのアレキパの街、数年前までは首絞め強盗多発地帯だったのです。
現在は、街角ごとに深緑の制服を着たツーリストポリス(観光警察)が立ち、
私達うさぎちゃんの安全に目を光らせてくれています。
その一方で、「おまえ昔は狼だったろ!背後から羽交い絞めにしてたろ!!」
とはっきり確信できるくらい眼つきの悪い男が、
恨めしそうな表情で、旅行者の後姿を見ていたりもします。
お食事中の方ごめんなさい。いきなりですが、もンのすごい下痢にやられてます。
ピ---がピ----からピ---してまうのでピ------が全くピ---くらいの下痢です。
一日に何十回も、部屋とトイレの間を往復してます。
原因はわかってます。チリを発つ日の朝に食べた、前夜の残り物のウニです。
「朝からウニはヘビーだろ」とほとんど手をつけなかった旦那は、軽い症状で済み、
がっつりいった私だけが、もうかれこれ一週間近くもピ------な事態だからです。
(事情により本文の一部を伏字にしてあります。)
あの日、ちょうど朝飯時に宿で出会った、名前も知らない日本人旅行者の方。
ゴールデンウィークを利用して南米にやって来たという、そう、サラリーマンの。
あなたも今頃どこかで、私と同じ苦しみを味わってらっしゃるのでしょうね。
「よかったらウニ食べませんか」なんて誘ってごめんなさい。
でも悪気はなかったの。本当です。
その後の旅の成功と、あなたの健康を、トイレの中から祈ってます。
90ヶ国目のペルーに入国しました。
南米に来てこれまで周って来た国々(アルゼンチンやウルグアイやチリ)は、
住民のほとんどがかつて入植した白人達の子孫で、
街や家々の造りもヨーロッパと似た雰囲気でしたが、
ここペルーには、肌の浅黒いインディヘナ達がわらわら暮らしていて、
街はカラフルな民芸品で溢れ、物価もいきなり安くなって、
やっとイメージ通りの南米に来たな〜、という感じです。
いきなりですが皆さんにプチ質問です。
海外旅行の場合、旅立ちの日って一体いつでしょう。
家を出た日ですか?それとも日本を発った日?
うちのサイトでは、東京の実家を出発した日を起点に日数を計算していますが、
実際に神戸港で出国のハンコをもらったのは、それから数日後です。
2002年4月27日 自分ちを出発
2002年4月30日 日本を出発
ま、どっちみち、旅立ちから五年が経ちました。
それで、六年生の抱負、というわけではありませんが、
今後、夏休みの前くらいまでは、のんびりまったり旅することにしました。
(これ以上まったりしてどーすんだ!というご指摘は禁止させていただきます。)
だってね、南米最南端のウシュアイアを出てから、今日で73日目なんですけど、
数えてみたらその間に25回も移動してました。
オーバーヒートで故障しないように、マイペースで、ゆる〜く。
細長〜いチリの国土もいよいよ北の端。
今、ペルーとの国境に近いアリカという街で、友達を待ってます。
掲示板でもお馴染みの友人・みゆさんが、
イースター島を旅行するついでに、アリカに立ち寄ってくれるのです。
こんな、バックパッカーでさえ素通りするような見所の少ない地方都市に、
わざわざ日本から、お仕事の休みを利用して・・・・・!!
旅行中に日本の友達が訪ねて来てくれるのは初めてなので、ちょっとうかれ気味です。
ウユニ塩湖には結局、三度行きました。
最初の二度は仲間達と車を借りて、日帰りで夕陽を見に。
この時はまだ湖面に薄っすらと水が残っていて、
足元まで空が映り込み、まるで宙に浮いているような錯覚に酔いました。
三度目は三泊四日のツアーで、すでにカラカラに乾いた白い大地を横断し、
そのままチリの北部まで抜けて来ました。
塩湖のど真ん中に建つ「塩のホテル」にも泊まりました。
建物もベッドも机も椅子も何もかも岩塩で出来ていて、当然全てがしょっぱくて、
壁など舐めながら日本酒をちびちびやりたいところでした。
ウユニ塩湖。特に、薄く水を残した雨季の終わりのウユニ塩湖。
この世にまたとない美しさでした。
いつか寿命が尽きる時は私、ウユニの、水鏡に映る夕焼けに包まれて死にたい。
この旅で一番の目的の地、私達の旅のきっかけとなった運命の地に、
出発から四年と十一ヶ月半の年月を経て、ようやく、ようやく到着しました。
ウユニ塩湖は、ボリビア南部、標高3600mの高地に広がる世界最大の塩の湖。
雨季には一面に水が溜まって、青空が映る巨大な鏡となり、
乾季には、乾いた純白の塩の大地となります。
雨季から乾季に移行するこの時期は、
一部に水が名残り、乾いた大地も顔を出す、絶好のウユニ観光シーズン。
この一瞬のタイミングを狙って、アルゼンチン北部を急ぎ足で旅してきました。
そしてボリビアに入国し、憧れのウユニ塩湖と、ついに・・・・・・。
しつこいようですが、またアルゼンチンに戻ってきました。これで六度目の入国。
今回の旅での最多入国賞はもう間違いないでしょう。おめでとう、アルゼンチン!
さて、チリのワインは値段の割に良質で、日本でも人気がありますが、
アルゼンチンも昨今、チリに負けじとワインの生産に力を入れています。
今はその中心地・メンドーサに来ています。
シーズン終わりかけのパタゴニアを超特急で駆け抜け、チリの首都圏までやって来ました。
ここでは日本からの救援物資を受け取るため、久々の、束の間の休憩です。
ここビーニャには、老舗の日本人宿があり、台所も自由に使えるので、
チリの豊富な海産物を市場で仕入れて来ては、捌いて刺身、昼も夜も刺身。
ところが実は、チリってなぜか、豚肉もめちゃくちゃ美味しいの!
スーパーで買える安い豚肉が、日本の黒豚なんかメじゃないほど柔らかい。
ここから北上していくと、豚肉は滅多に食べれなくなると聞いたので、
刺身をツマミに、しょうが焼きや豚汁も楽しんでます。
あれれ、最近なんだか食べ物の話ばっかりですね。
アルゼンチン、チリ、アルゼンチン、またチリ、またまたアルゼンチン・・・・
再アンデス山脈の裾野に広がる湖水地方を、まさに縫うように移動中。
この辺りはほんっと、右も左も湖だらけ。
ちょっと高台に登れば360度の絶景が望めます。
私はウニが大好きです。旦那もウニが大好きです。
なので、チロエ島の市場でウニを一山購入し、ウニ丼にして食べました。
これほど大量のウニを一度に食べたのは生まれて初めてなので、
ウニがこんなに胸焼けするものだとは知りませんでした。
食後何時間も経つのにずっと吐きそうです。どうにかして。
もうしばらくウニは見たくありません。ウニを嫌いになりそうです。
ちなみに、採りたての生ウニの剥き身、お椀に一山てんこ盛りで450円也。
この吐き気が収まったら、よーし、明日は名物の巨大フジツボに挑戦だぁ!
チリはものすごく細長い国で、国土を南北に縦断する道路がありません。
特に南部は山がちで、人口も少なく、交通の便が悪いため、
チリとアルゼンチンの国境を、縫うように行き来しながら北上しています。
アルゼンチンは牧畜が盛んな「お肉の国」ですが、
長い海岸線をもつチリは、日本にも劣らない「お魚の国」。
さすがに美味しい食べ方をわかっているのか、
小さな村の商店にも、ちゃんとキッコーマンの醤油が売られています。
明日は船で、貝の料理が名物だというチロエ島に渡ります。
チリとアルゼンチンの南部にまたがるパタゴニア地方を旅しています。
パタゴニアは、アウトドアのブランド名になっていることからもわかるように、
世界のワイルド野郎共が憧れる大自然の宝庫。
山あり、谷あり、氷河あり!!
普段は文化系パッカーの私達も、ここでは内に秘めたワイルドパワーを全開にし、
体育会系パッカーとして精力的に野外活動中です。
先日は、アイゼンやハーネスなどちょっと本格的な装備で、氷河の上をトレッキングしてきました。
足元には底の見えないクレバスがぱっくり。しかも、その日は吹雪。
指先は凍るし、鼻水は止まらないし、しんどいし、なんか苦行みたいでした。押忍。
地球上で日本の真裏に位置する国はどこでしょう。
それはチリ。タビフーフはチリにやって参りました。
つまりようやく世界半周です。ここまで長い道のりでした。
南極クルーズから戻り、現在、世界最南端の街・ウシュアイアにいます。
豪華客船での毎日は夢のようでした。
World Travelerのこーいち&なお夫妻、世界くるりんのあつし&みさ夫妻、
チキュウサンポのサンポさんをはじめ、気の合う16人の仲間と一緒に、
24時間いつでも食べ放題のビュッフェで食らい、屋内のプールサイドに集い、
フォーマルナイトには全員でドレスアップして、ゴージャスな夜を過ごしました。
ある時は流氷の隣をゆっくり漂い、クジラやシャチを追い、
ある時は神秘的な南極の大地すれすれにまで迫り、
ある時はなんと、遭難した別の客船から46名の乗組員をレスキューしました。
は〜あ、楽しかった。でももう満足。このままだと食べ過ぎてブタになっちゃう!
豪華客船のセレブな乗客は引退。普通のバックパッカーに戻ります。
現在、南緯57.3度×西経60.5度。南極からの帰り道。
海が大荒れすることで有名なドレーク海峡を航行中です。
私達の船は世界最大級、しかも揺れ防止機能付。でもかなり揺れてます。
これが小さなクルーズ船だと、最大傾斜50度を越えるほど揺れるそうです。
南極大陸や周辺の島々を航行中は、
クルーが「こんなに完璧な天気は初めてだ!」と断言するほどの快晴に恵まれ、
鏡のように静かな海に南極の黒い山肌が映え、
流氷はまるでガリガリ君ソーダ味のような嘘みたいな青色に輝き、
沖ではクジラが潮を吹き、ペンギンやアザラシが楽しそうに泳ぎ、
ああもう、筆舌には尽くせない、やっばい美しさでした!
あと、贅沢すぎるクルーズ生活のおかげで体重もやばい域に達しています。
健康のためにもデッキのプールで泳ぎたいんですが、
寒いし、揺れのせいでプールの水面が津波状態なので、やむなく断念。
船を降りたらダイエットに励みます。
前回の穴埋め問題の答えは、
プエルトマドリンから(豪華客船)に乗って(南極)を(クルーズ)して参ります、でした。
ということで本日より、タビフーフは再び船上の人となります。
アフリカ旅行中から、ワンウェイ&陸路で南極に行く手段を探していましたが、
いろんな手違いや行き違いもあって、実現はほぼ絶望的な状況でした。
ところが先日、「どうせ手も出まい」とダメモトで問い合わせた豪華客船が、
なんと超破格で空き船室を売りさばいているのを発見!!
鼻血を噴き出さんばかりに興奮しつつ、さっそく予約を入れたのでした。
かつて泉ぴん子がクイズ・ミリオネアに出場した際、
「1,000万円獲得したら橋田先生と一緒に行きた〜い」と語った南極クルーズ。
が、今回のクルーズはたったの16万円、しかもこんな船。
んもー、私ったらお買い物上手の賢い主婦だわーっ。
心ゆくまでセレブ生活を楽しんでくるわーっ。
最後の日本兵・小野田寛郎さんの講演会に参加してきました。
密林の小島で、戦後30年間も孤軍奮闘されていた小野田さん。
この方に一目お逢いしたくて、生の声を聴きたくて、
今までずーっとブエノスアイレスで待ってた・・・・・甲斐がありました。
実は小野田さんが30年ぶりに下界へと戻った197?年3月10日は、
私がこの世に生を受けた、まさにちょうどその日なのです。
ここで御本人にお逢いできたのも、やっぱり何かの縁でしょうか。
とま、今年最初のイベントが終わったので、今日これから南に向けて移動です。
次の行き先は、バルデス半島のプエルトマドリン。
そこから●●●●に乗って●●を●●●●して参ります。おほほほほ!!
想像してみて下さい。
あなたは服屋の店員です。ある時、一週間の休暇でニューヨークを訪れました。
宿では、日本語も英語も話せないイタリア人と相部屋なりました。
会話が成立しないので、暇な時間はチェスなどをして数日過ごしましたが、
お互いの連絡先は聞かずに別れました。
そして日本に帰国し、半年後。
あなたが働くショップに、そのイタリア人がふらっと入ってきたのです。
「き、君はもしや、あの時の!!!!」
という偶然が、私達の身の上にも起きました。
南アフリカのケープタウンで一緒のドミに泊まっていたアルゼンチン人が、
ブエノスアイレスの、たまたま覗いたジーパン屋で働いてた。
お互いに腰が抜けるほど驚きました。そして、なんだかめちゃくちゃ嬉しかった。
世界も世間も本当に狭いなぁ。
明けましておめでとうございます!
2003年インド、2004年のイラン、2005年ギリシャ、2006年のジンバブエに次ぎ、
今年はアルゼンチンのブエノスアイレスにて、この旅で五度目の新年を迎えました。
年越しの瞬間、各家庭の屋上から一斉に花火が打ち上げられるという、
いかにもラテンの、ど派手で賑やかなニューイヤーでした。
一番最近の近況報告を読む
もっと昔の近況報告を読む (2006年)