ウルグアイからフェリーに乗ってアルゼンチンに戻ってきました。
今年はここブエノスアイレスの、世界一の居心地と評判の日本人宿で、
大勢の日本人旅行者と一緒にクリスマスを過ごしていますが、
では実際ここが世界一の居心地かと聞かれますと、ちょっと返答に困ります。
麻雀好きの誰かには、きっと世界で一番居心地の良い宿です。
牌を混ぜるじゃらじゃらという音が年中無休で鳴り止まない宿です。
宿で麻雀というよりむしろ、雀荘に間借りしてる感じです。
アルゼンチンではまだ一週間ほどしか過ごしていませんが、
今のところ私は、アルゼンチン人がとても嫌いです。
つんとしてて気位が高い。親切じゃない。目が合ってもニコっともしない。
スペイン語がわからないと露骨に嫌そうにする、または無視する。
サービス業でも態度のでかい奴が多い。基本的になんか偉そう。
国境をひとつ跨いだだけで人柄ががらっと変わる、のはよくあることですが、
これじゃまるでイグアスの滝のような落差です。ブラジルが恋しいよぉ。
今はひとまずウルグアイに逃げて来ています。
ウルグアイ人はアルゼンチン人よりいい感じ、でもブラジル人よりは冷たい感じ。
パラグアイとブラジルとアルゼンチンの境目をうろうろしてます。
三国が接する国境、というだけならそれほど珍しくはないのですが、
ここは三国それぞれに立派な街があり、見所も多く、
しかも比較的自由に行ったり来たりできる、ちょっと面白い国境なのです。
例えば、朝はブラジルで世界三大瀑布のイグアスの滝を観光して、
午後はパラグアイにある免税の電気街でお買い物して、
夜は、物価が安くて過ごしやすいアルゼンチンの宿に帰る、
なんてことも普通にできてしまいます。
おかげで今、財布の中が、グアラニーとレアルとペソでぐちゃぐちゃです。
パラグアイでは、戦後に移民した日本人のイグアス移住区に立ち寄りました。
今も100人以上の日本(日系)人児童が学ぶ日本語学校では、
赤土の校庭で行われた昼礼に参加させていただき、
たなびく「日の丸」の旗の下、子供達と一緒に「君が代」を斉唱してきました。
異国の陽炎のなかで、パラグアイ育ちの子供達がいきいきと歌う「君が代」を、
日本を愛せないあなたにも聞かせてあげたかったわ。
パンタナールの南端にある、ボニート(美しい)という名の小さな町に寄ってきました。
ボニートでボニートなのは、限りなく透明に近いブルーの湧水の川。
密林の中のおそろしく澄んだ川を、体長1mにもなる巨大な淡水魚達と泳ぎ、
ついでにその刺身をたっぷり喰らって、またちょっと太っちゃった。
その後、ブラジルからパラグアイへと越境しましたが、
この国境、国境と呼ぶにはあまりにも境目っぽくない国境で、
イミグレのチェックも警備もなく、有刺鉄線もなく、これっぽっちも緊迫感なく、
そのくせ、あっちは南米一の先進国、こっちでは馬車が普通に走ってるので、
おもしろいから何度も行き来して、少しだけダイエットになりました。
南米に居ながらプチ里帰り、のようだったサンパウロでの滞在を泣く泣く終え、
ブラジル奥地の大湿地帯・パンタナールの玄関口までやって来ました。
自然満喫派の旅人には人気のある、パンタナールのエコツアーですが、
ここでの私達の一番のお目当ては、カンポグランジ名物・沖縄ソーキそば!
カンポグランジには、沖縄からの移民やその子孫がいっぱい暮らしていて、
彼らと一緒に海を渡ってきた肉たっぷりのソーキそばも、
地元っ子にSOBAと呼ばれて、しっかり定着しています。
そんなわけで本日、結婚八周年の「イイフーフ」の日は、
ブラジルの湿地帯で、沖縄ソーキそばでお祝いしてきました。
日系人や在住者向けの日本語日刊紙・サンパウロ新聞(11月15日付)に、
私達の旅に関する記事が掲載されました。
興味のある方は、自分で買って読んで下さい。
サンパウロ日本人街にあるキオスクや商店なら、どこでも手に入ります。
育児や家事に追われ、「サンパウロまではなかなか・・・」という主婦の皆さんは、
こちらで詳細をご覧下さい。
世界広しと言えど、チャイナタウンは数あれど、
我らが日本人街があるのは、アメリカのロサンゼルスと、ここサンパウロだけ!
通りには漢字ひらがなカタカナの看板が並び、鳥居や寺なんかもあって、
しょうゆ顔の住民は、お年寄りなら流暢な、若者でも覚束ない日本語を話し、
本屋では何年か前の「文芸春秋」が売られ、「男はつらいよ」のDVDが売られ、
文化センターからは、カラオケ大会の素人演歌が聞こえてきます。
寿司にラーメンにとんかつ屋、元関取が腕を振るうちゃんこ屋までありますが、
外食ばかりしてるとエンゲル係数的に厳しいので、
商店で、銀シャリ納豆こんにゃく梅干たくあん昆布に豆腐をたらふく買い、
毎日自炊してがっつり食べ、夫婦してぶよぶよのゆるゆるになっています。
日系人の友達に頼んで、サッカー観戦に連れて行ってもらいました。
雨にも負けず、合羽姿でスタジアムに集まった観客全員、地元チームのファン。
飛び上がり、歌い、踊り、得点すれば昇竜拳のごとく回転ガッツポーズを決め、
檄を飛ばし、野次を飛ばし、得点されれば葬式のようにどんより落ち込み、
結局は負けたので怒り、帰途につく選手を待ち伏せて拳を振り上げる。
選手以上にカロリー消費しちゃってそうな、熱い観戦スタイルでした。
サンバの生演奏が聞ける、庶民的なバーにも連れて行ってもらいました。
ニプレスで激しく踊る美女を想像してたら、これが意外やオトナな雰囲気で、
大音量で奏でられるカーニバルのサンバとは、まるでベツモノ。
どちらかというとボザノバに近い感じの生サンバ、これまたすげーかっこよかった!
このように、サンパウロでの生活はとても充実しています。
よって、もう少しだけ滞在を伸ばしたいと思ってます。
昨日、F1今期最終戦サンパウロGPを観てきました。
馬鹿高い入場料を払うほど気前が良くない私達は、
サーキット隣の丘から、地元ファンと一緒にレースを覗き見。
正直、どの車に誰が乗ってるとか、全然わからなかったけど、
生まれて初めて直に聞いたレーシングカーの悲鳴が、鼓膜を肌をもろに刺激し、
全身のうぶ毛が逆立つような興奮を覚えました。
このレースを以って引退する天才・シューマッハを抑えて優勝したのは、
ご当地のブラジル人レーサー。タダ見の観衆達は弥が上にも大盛り上がり!
近視矯正手術が大成功したばかりの旦那だけは、ひとり、
「おお!よく見える、すげぇすげぇ!」と、なにやら別のことに感動しておりました。
サルバドールから、飛行機ならあっちう間の距離を、あくまでもバスで23時間、
奇抜な建物にょきにょきの新興首都・ブラジリアを見物した後、
やっぱりバスで14時間、南米経済の中心地・サンパウロまで南下して来ました。
日系人が多く暮らすサンパウロには、世界最大の日本人街があり、
スーパーで梅干や納豆が買えるし、お坊さんが普通に歩いてたりしますが、
その紹介はとりあえず先送るとして。
いきなりですが明日、旦那が角膜のレーシック手術を受けます。
日系人の先生に日本語で診察してもらえるうえ、比較的安く施術できるので、
サンパウロでの視力矯正手術は、めがねっこ旅人の間で静かなブーム。
旦那はもともとそれほど強度の近視ではないのですが、
さてさて、これで少しは目つきが柔らかくなってくれるでしょうか。
ブラジルに来てから、街角での一瞬の出会いに恵まれています。
地図を広げるそばから「どこに行きたいの?」と声を掛けてくれたオバサマ、
店先を冷やかす私達に「あそこで買うと安いよ」と教えてくれたオジサマ、
言葉がわからなくても、みんな身振りと笑顔で助けてくれる。
私につきまとってきた怪しげな若い男を、
わざわざ車から降りてまで、追い払ってくれた紳士もいました。
今まで、ブラジル人ってみんなマルシアみたいに負けん気が強くて、
キレると拳銃振り回して、ゴキゲンな時は辺り構わずサンバ踊ると思ってた。
酷い誤解でした、ごめんなさい。
本物のブラジル人は、穏やかで、優しくて、心が柔らかい人達です。
来て、見て、触れてみないとわからないこと、まだまだいっぱいあるね。
サルバドールまで来ました。リオデジャネイロからバスで26時間かかりました。
ちなみに飛行機も値段は同じで、所要2時間だそうです。
あんだよ、バスで苦労して来てっから感動すんだよ、ふんっ。
だってここの長距離バス、すんごいんだから!
リクライニングぐいーんだし、フットレスト(足載せ台)までついてるしさー。
だから疲れないもん、ぐったりしないもん、首も腰も痛くならないもん、
「なんかアホらし〜」なんて誰とも話してないもん!
サルバドールはリオデジャネイロと同様、カーニバルで有名な街。
植民地時代の面影を残す石畳の坂道に、衣装をつけた踊り子が舞う姿は、
想像しただけでワクワク、熱い夢のようです。
今回の旅では無理だったけど、いつか絶対に見に来るんだ!
でもその時は、えーと、飛行機で来てあげてもいい。
上陸してからしばらくはあいにくの曇り空でしたが、
ここ数日前から、南米のキラキラ太陽が姿を見せてくれてます。
長い海岸線を擁するリオデジャネイロは、陽光に映える美しい街。
せっかく晴れたし、上ばかり向いて歩きたいところですが、
路上にやたらと落し物が転がっているので、そうもしていられません。
ブラジルの愛犬家の皆さん、飼い犬のウンニョはちゃんと処理して下さいっ!
一昨日、ブラジルのリオデジャネイロに上陸しました。
当初は9泊10日で大西洋を横断する予定が、15泊16日かかりました。
行程がが大幅に遅れたのは、航海中に突然エンジンが故障し、
大西洋のど真ん中で船が動かなくなる、というハプニングがあったから。
優秀なメカニックの施した応急処置で、エンジンが奇跡的に息を吹き返すまで、
私達は大海原でぽつねん、俗に言う漂流ってやつを経験させていただきました。
32時間後、なんとか二度目の船出を果たした大型コンテナ船でしたが、
ブラジルの陸地の影をかろうじて望める程度の沖合まで来た時、
役目を終えたと感じたのか、エンジンは再び動かなくなってしまいました。
その場所に錨を下ろし、待つこと数日間。
小型のモーターボートによって届けられた部品を使い、船は洋上で修理され、
私達も積荷のコンテナも、ようやく陸揚げされたというわけでした、はい。
船上での生活はすこぶる快適でしたが、長かったんで疲れちゃった。
あと、漂流中に節水命令が出された時は、ナミブ砂漠でのトラウマが蘇りました。
アフリカと南米、二つの大陸を隔てる4,500海里。
陸路にこだわる多くの旅人達の夢を阻んできた海。
長い間、「豪華客船以外に乗れる船はない」と言われてきた、その南大西洋に、
この度、貨客船の航路を発見しました。パチパチパチ!
複雑な乗船手続きを経て、ようやくその一船室をゲット。
嫁、頑張っちゃった。褒めて褒めて。
そんなわけで明日、ダーバンからその大型コンテナ船に乗ります。
南米までは所要10日間を予定しております。
寿司はたらふく食べたし、喜望峰にもテーブルマウンテンにも行ったし。
家族みたいに仲が良かった沈没組も、皆それぞれの道へ旅立ったし。
タビフーフも明日、再び始動します。
どこに向かうかはまだ内緒!例によってあれこれ予想を楽しんで下さい。
ケープタウンは三寒四温。春が行ったり来たりしています。
はーぁ、せめてあと二週間くらいはゆっくりしたかったべ。
ええ、まだケープタウンにおりますけれど、なにか?
南アフリカは葡萄どころで、安くて旨い産直ワインが300円くらいから買えるので、
毎晩なんだかんだ理由をつけては呑んだくれてますけど、なにか?
先日は、宿の共同キッチンに新しい食器洗いスポンジが置かれたことを祝し、
多国籍なメンバーで、明け方まで狂気のスポンジパーティー!!
翌日の午後まで頭ぐるんぐるんでしたけど、それがなにか?
だけどね、タビフーフは沈没派パッカーだなんて思わないでね。
私達の長期滞在の裏には、いつも必ず理由があるのっ(ダハブを除く)。
今回もやっぱり、隠された「深い事情」がありま・・・・・・すん。
ケープタウンのバックパッカー街・ロングストリートでは、
連日のように、同宿の欧米人達が、軽い強盗(カツアゲ)に遭ってます。
ただ、ここ三週間での日本人(タビフーフの友人限定)の被害報告は、一件のみ。
この辺りの悪者達は、東洋人は皆ジャッキー・チェンばりに強いと思っていて、
おいそれとは襲って来ないようなのです。
アフリカではこれまで散々「アチャチャチャチャ」言われ、嫌な思いもしたけれど、
たまには得することもあるのね。
アフリカのゴール地点は喜望峰!と以前から宣言してきた私達ですが、
実はアフリカ最南端は喜望峰じゃないんですのよ奥さん、知ってた?
喜望峰に観光客を奪われ、知名度も人気も低く、
ヴァスコ・ダ・ガマに見向きもされなかった本当の最南端、アグラス岬まで、
レンタカーを借りて日帰りドライブしてきました。
私達が到着してから、ケープタウンは連日のように雨に降られていますが、
その日だけは晴天に恵まれ、愉快な仲間とわいわい楽しいドライブ。
岬の石碑に立ち、広大な大陸を振り返って、しばし感慨にふけりました。
ナミビア以降、随分と遠回りをしましたが、ようやく到着しました。
南アフリカで最も美しい街、ケープタウンに。
アフリカ大陸に入ってから一年一ヶ月、ずっとこの街を目標にしてきたので、
嬉しいような、気が抜けちゃったような、変な気分です。
あとは喜望峰に立てばアフリカの旅も完結ですが、
それはまだしばらく先のお楽しみにとっておくとして、
まずは目下最大の宿題、今後の進路と旅の方向性に頭を悩ませてます。
レソトの先住民であるバソト族は、騎馬民族です。
今も多くの人達が道路の通らない山奥で暮らし、移動には馬を使っています。
というわけで私達も馬(ポニー)に乗ってきました。
高地特有の真っ青な空の下、民族衣装の「毛布」を羽織ったバソトと共に。
レソトはまるでアフリカのチベット。他の国にはない独特の空気が流れていました。
その後、再び南アフリカへ。
現在は、世界有数のダイヤモンド鉱山を持つ、キンバリーに来ています。
ヨハネスブルグがあまりに危険なので南アフリカを早々に退散し、たわけではなく、
大陸南部の最後の未訪問国を埋めるため、
四方を南アフリカに囲まれた小さな山岳国へとやって来ました。
この国の名を日本語で表記すると、レソト。
ところが現地で使われている実際の発音は、リスートゥー。
「レソトに行きたい」と言ってもなかなか通じません。皆さん、気をつけましょう。
アフリカ大陸きっての先進国、南アフリカに到着しました。
モロッコ以来一年ぶりのマクドナルドに感動してたら笑われちゃいます。
道路が舗装されてるくらいで驚いてたら気の毒がられます。
二日間通っても全部周りきれないほどの超巨大ショッピングセンターには、
ブランド服飾品も、電気製品も、輸入食品も、よりどりみどりの品揃え。
うほほーい、あれもこれも買っちゃうどー!
ところがどっこい、そうは問屋が卸さぬヨハネスブルグ。
そう、ここは「世界で最も危険な都市」の異名を欲しいがままにしてきた街。
でもま、私達は郊外の住宅街に泊まっているから大丈夫よーん、と思いきや、
到着当日、近所のスーパーマーケットに総勢20名の武装強盗団が押し入り、
犯人と警官合わせて12人が死亡するという大銃撃戦がありました。
さすがはヨハネスブルグ。噂に違わぬデンジャラスっぷり。
せっかくモノが溢れていてるのに、おちおち買い物にも行けんじゃないか。
HIV感染率世界第一位の誉れ高きスワジランドに来ています。とても寒いです。
手持ちの防寒具を総動員しても耐えきれず、テントを畳んでドミにお引越し。
南半球の冬をなめたらあかんですね。
ジンベエザメって知ってます?大阪の海遊館にいるやつ。
世界最大の魚類で、大きいものだと全長16mにもなるという鮫です。
そやつと一緒に泳いできました。ここトーフの海で。
普段から「趣味は素潜り!」と豪語している私も、
さすがの巨体に腰が引け、あまりお近付きにはなれませんでしたが、
いやもう、アメージングな体験でした。
残念ながら良い写真を撮れなかったので、ま、これでも見といて。
ついでに言うと、ザトウクジラも見ちった。大阪の海遊館にもいないやつね。
ザトウクジラさん、私達の目と鼻の先で豪快なジャーンプ!ざっぱーん。
これもまたアメージングな体験でした。
ここトーフは海辺の小さな村ですが、実は知る人ぞ知るマリンスポーツのメッカで、
サーフィンやダイビングを目的に、欧米のワイルド野郎共が集まってます。
私達も久々のキャンプ生活中。インド洋を目前にした砂の上でテント張ってます。
ワールドカップの日本初戦は、各国のサッカー好き達と共にテレビ観戦しました。
浜辺のバーで、昼間っからビール片手に盛り上がるオージー大応援団に対し、
日本のサポーターは私達たった二人だけ。
お手製の日の丸を振って声援を送りましたが、残念ながら負けちゃいましたね。
本日、旅立ちから1,500日目です。
人生80年だとして計算すると、ヒトの一生は29,200日。
私達はすでにその1/20の時を、この旅に費やしているわけです。
あ、そういえば昨日、ミニバスの屋根の上に積まれていたヤギが放尿し、
窓を開けてぼへっとしていた私の右半身に、黄色い聖水がもろ降り注ぎました。
そして、口を開けてぼへっとしてた私の舌に、そのうち一滴が着地しました。
そのせいかどうか知りませんが、昨夜から酷い腹痛で、ほとんど寝てません。
そんな旅立ち1,500日目。おめでとう私、おめでとうタビフーフ。
タンザニアとモザンビークの国境付近では、未舗装のドロドロ悪路が続き、
何度となくトラックの荷台から転げ落ちそうになりました。
そういう道路状況もあって、多くの旅行者が避けて通るモザンビーク北部。
ここモザンビーク島(祝☆300都市滞在!)も、国内唯一の世界遺産ながら、
ポルトガル植民地時代の建物がちらほら残る以外、いたってフツーの漁村。
観光客もほとんどおらず、平和でのんびりとした素敵なところです。
東アフリカの雨季が明けました。
随分と時間を無駄にしましたが、明日、南に向けて移動再開します。
はい、インド洋の島々はあきらめますた。
やれるだけのことはやったので悔いはなし。気持ちを切り替え、いざ喜望峰へ!
なぜこんなに長いことダルエスサラームに留まっているのかって?
実は、大陸とマダガスカルを船で往復する、最後の可能性にすがっているのです。
往路はどうにかなりそう。でも、どうしても復路の見通しが立ちません。
もう少しだけ悪あがきしてみて、それで駄目なら今回は諦めます。
ダルに滞在してる方、お暇なら遊びに来てね。
HOLIDAY HOTELの28号室に泊まってます。
二年前にイエメンで出会い、エジプトでもご一緒した旅仲間のぎんなんさんに、
タンザニアのダルエスサラームで再々会しました。
あの後、私達は中東とヨーロッパを、ぎんなんさんはアジアと中南米を旅し、
ここアフリカで久々に互いのルートが交差、二年ぶり三度目の遭遇となりました。
こういうハプニングこそ旅の最高の愉しみだったりして。
情報を交換したり、イエメンの思い出に浸ったりと、毎夜遅くまで話が尽きません。
ザンジバルでは、トイレとラブラブの旦那を置いて、よく一人で散歩してました。
アラブやインドから海を越えて来た商人達の拠点として、
かつてその栄華を極めた、ストーンタウンの旧市街。
今もなおイスラムやヒンドゥーが定住する、石造りの細い路地を歩いていると、
アフリカなのにアフリカじゃないような、とても不思議な気分になりました。
その後フェリーで、本土のダルエスサラームまでやって来ています。
旦那の下痢ピーもだいぶ治まったみたいです。
長年愛用してきたパソコンと、長年連れ添ってる夫が、同時に病に倒れました。
どちらも悪質なウイルスにやられたようで、パソコンの方は復旧作業難航中。
しばらくはもう一台のパソコンを使って細々と更新していきます。
夫の方には(残念ながら)代替品がないので、ちゃんと看病してあげないとね。
空よりも淡いブルーの海に、真っ白できゅるきゅるの砂!
アフリカ屈指のビーチを誇るザンジバル島に来ています。
ザンジバル島へは通常、本土のダルエスサラームからフェリーで往復しますが、
ワンウェイルール的に美しいルートを描くため、あちこちで船探し。
インド洋に面した、パンガニという小さな町から、
全長10mにも満たない木造船で、ザンジバル海峡を渡るハメになりました。
外洋に漕ぎ出すにはあまりにお粗末な舟。しかもおんぼろ。
浸水は酷いし、小さな波がくるだけでも転覆しそうなほど揺れましたが、
なんとか沈まずに島の北端に到着、ホッと胸をなでおろすタビフーフ。
ワンウェイルールのおかげで、またしても忘れ難い経験ができました。
ナイロビが、アフリカ大陸で最先端の街のひとつ、にまで成長したのは、
高地の、冷涼な気候が大きな要因なんだそうです。
気候のみならず、なににおいても過ごしやすかったナイロビ。
思いのほか安全な下町、品数豊富なスーパーマーケット、快適な日本人宿、
そして、そこで出会った愉快な旅人達と、宿から出ないぐうたらな毎日。
賭けトランプして、シェア飯食って、昼寝して、桃鉄して、またシェア飯食って。
そんなダメダメ生活に終止符を打ち、五週間ぶりに、えいやっと移動しました。
モンバサは暑い。暑いうえに湿気もすごい。もんもん、じめじめ。
すっかり鈍った体には、アフリカはとてもしんどいです。
ナイロビに滞在すること、はや一ヶ月強。
足の療養にかこつけ、パリ以来の怠惰な生活をしております。
一昨日になってようやく重い腰を上げ、まだ少し痛む足を一歩踏み出して、
ナイロビ近郊の国立公園でサファリしてきました。
同じロッジの沈没メンバーのうち、日本人12名でマイクロバスを貸し切り、
でっかいサイを見て大騒ぎ、前夜から用意したお弁当を食べ大騒ぎ、
動物孤児院でチーターに触ってこれまた大騒ぎの、充実の日帰りツアーでした。
気分が盛り上がってきたところで、そろそろ旅を再開!のつもり、です、けど。
このところずっと、海路でのマダガスカル行きを模索してたんですが、
ワンウェイルールのおかげで、かなり絶望的な状況です。
ここであきらめてしまうか、袋小路を覚悟で突撃するか、迷いに迷ってます。
高層ビルの立ち並ぶ「ナイロビの銀座」、ケニアッタアベニューを、
知的な表情のビジネスマンやスーツ姿の女性達に混ざり、颯爽と歩行中、
いきなりコケました。ずべっと、かなりダサく。
これまで経験したなかで最大級の捻挫。痛くて歩けません。
ちょうど宿に居合わせた元バスケ部の旅人が、
「捻挫は完治させないと長引きますよ〜」と教えてくれたので、
痛みが治まるまで、もうしばらくナイロビで過ごすことにしました。
マラウィのンカタベイからナイロビまで、25日間で5ヶ国、なんと15ヶ所に滞在!
前代未聞の超スピードで移動してきたため、このところ疲れきっていましたが、
ケニアの日本人宿でのんびり過ごしているうちに、かなり復活しました。
ナイロビは、これまで訪れたアフリカの街のなかでも、最も洗練された都会です。
日本食レストランもあります。もちろん行きました。二度も行きました。
にぎり寿司とちらし寿司を食べました。涙が出ました。
ウガンダ西部にて、ピグミー族(小人ちゃん)の集落を訪れた後、
待望のカンパラへやって参りました。
カンパラ。ここ数ヶ月間ずっと目標にしてきたカンパラ。夢にまで見たカンパラ。
なんで?なんでってあーた、カンパラで救援物資が待ってたんですもの!
8ヶ月ぶりに受け取った日本からの小包の内容は、
バーモントカレー、ほんだし、わさびふりかけ、乾燥わかめ、生梅風味の飴、
頭痛薬、ムヒかゆみ止め、テントなど各種キャンプ用品、その他もろもろ。
いつもありがとう、お義母さん!これで栄養つけて、残りのアフリカ頑張ります。
「ホテル・ルワンダ」という映画を知っていますか?
50万人以上もが犠牲になった、1994年のルワンダ大虐殺を題材にし、
アカデミー賞等で高い評価を得た作品です。
アフリカ問題に対する感心の低さから、日本では上映が見送られてきましたが、
昨年夏、ひとりの青年の呼びかけをきっかけにムーヴメントが起こり、
2006年1月、ついに日本での上映が始まりました。
今すぐ!最寄りの映画館へ走れ!
で、そのルワンダに今、私達は来ています。
映画の舞台となった高級ホテル「Des Mille Collines」でお茶したり、
障害者に義足を提供している日本のNGO活動を見学させてもらったり、
大虐殺の背景を学ぶべく博物館に行ったりと、忙しくも充実の毎日です。
ブルンジの首都・ブジュンブラにいます。
十年前にお隣ルワンダで起きた大虐殺と同じ、フツ族とツチ族の対立を理由に、
2002年末まで内戦、去年まで戦闘が続いていた国です。
現在は停戦協定のもと、状況は格段に向上していますが、
安全を期す為、湖から船で入国しました。
が、これがなかなか大変な道のりで。
まずはタンザニアのムワンザから、タンガニーカ湖畔の港町・キゴマへ。
そこから定期フェリーでブルンジへ渡るつもりが、そのフェリー、運行休止中!
しょーがないので港へ通ってブルンジ行きの貨物船を探し、船長と直接交渉、
ブジュンブラまで、積荷の鉄屑と一緒に運んでもらったのでした。
そうまでしてやって来たブルンジ、人は親切、活気もあり、悪くない国ですが、
特にやることもない。明日にはルワンダに移動しちゃいます。
ンゴロンゴロとセレンゲッティの両国立公園にて、サファリって参りました。
動物めっちゃいっぱい。生ライオンも、もう見飽きた。
マラウィからタンザニアに入国し、広大な国土を一気に北上して来ました。
サバンナを駆けるシマウマの群れ、ライオンや象。
アフリカ最高峰のキリマンジャロ。
赤い布をまとったマサイ族に、カラフルなドレスのビッグママ。
褐色のブラザー達に、スワヒリ語で「ジャンボ!」と挨拶すれば、
こりゃもう、日本でイメージされているアフリカそのものだっ。
それにしても疲れた。
日本人旅行者の間で、密かに「アフリカの滋賀県」と評されるマラウィ。
そこにあるのは湖ただひとつ、という意味の愛称ですが(ごめんよ滋賀県)、
そのイメージ通り、首都のリロングウェですら都会っぽさゼロ、
人々の表情もぽわ〜んとしていて、なんだか微笑ましい。
ナミビアからボツワナ、ジンバブエ、そしてザンビアまで、
らしからぬ先進国っぷりに驚ろかされてばかりだったので、
またアフリカに戻って来たぞ!という感じで、テンション上がってます。
さてと、そんだばちょっくら、琵琶湖・・・・・でなくて、マラウィ湖まで行ってくらぁ。
世界三大瀑布のひとつに数えられるビクトリアフォールズ。
その獰猛な滝の姿を、ジンバブエとザンビアの両側から堪能して参りました。
ジンバブエ側では、ラフティングで急流を下ってアドレナリン全開!
ザンビア側では、滝の落ちる寸前の岩場でのんび〜りピクニック。
雨季だけに水量も多く、轟音も水しぶきも大迫力でした。
今泊まっている宿の目と鼻の先で、日本人が強盗に遭いました。
近寄ってきた三人組にいきなり顔面を殴られ、バッグを奪われたんだって。
治安が悪いとは聞いていたけど、身近で事件が起きると恐怖感倍増!
怪我しないうちに、そろそろハラレ脱出します。
ジンバブエではここ数年、大統領の悪政に端を発した経済危機が続き、
世界でも類を見ないハイパーインフレーション(怒涛の通貨下落)が進行中。
1999年は1US$=37Z$(ジンバブエドル)だった通貨価値が、
2002年には1US$=1,000Z$を割り、
本日現在、1US$=87,000Z$まで下落しています。
つまり、七年前に預金した100万円が、
今引き出したら400円の価値にしかならないという、ものすごい経済状況!
すでに国家崩壊まで秒読み段階に入っている、とも言われています。
そんな中、ここハラレで新しいパスポートを取得した私達。
通常なら10,000円はする五年用パスポートですが、
ジンバブエの日本大使館で数年前に設定された価格は、76,920Z$。
それを現在のレートで計算すると、なんと約100円という超破格!!
おそるべしインフレ、ありがたやインフレ。おいしい買い物させていただきました。
明けましておめでとうございます!
私達はハラレで、ジンバブエの伝統楽器「ムビラ」のライブを聴きながら、
旅仲間達と新年の祝杯を挙げました。
心配していた治安もそれほど問題なく、物価が安くて過ごしやすいハラレ。
新年早々、沈没の誘惑に駆られちゃって困る〜ん。
一番最近の近況報告を読む
もっと昔の近況報告を読む (2005年)