近況ログ




2004年


12月31日

トルコからロードス島までは海が大荒れし、
小型(漁船くらいの大きさの)フェリーがばったんばっこん揺れたせいで、
本気で転覆を心配しました(船員もマジ顔してるし)が、
ギリシアの島々を結ぶフェリーは超大型、しかも豪華!安心して乗ってられます。
が、こちらはオフシーズン&年末年始の休暇で便数が激減。
現在はサントリーニ島でミコノス島行きのフェリー待ちをしております。

2003年はインドで、2004年はイランで、皆でわいわいと新年を祝いましたが、
そんなわけで今度の年越しは、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島にて、
二人ぽっちで静かに迎えることになりそうです。ちょっと淋しい。



12月23日

ギリシアへは無事に入国できました。
皆様、メリー☆クリスマス!



12月18日

キプロス島からトルコに戻るフェリーが、悪天候によって出航延期となり、
予定より少し遅れてアンタルヤに到着しました。
明日の夜行でトルコ最後の目的地となるマルマリスへ移動し、
そこからフェリーでギリシアへ。いよいよヨーロッパ圏へ突入です!!

が、実は私達、ギリシアとは敵国にあたる北キプロスへ渡航の際、
トルコ側の出国、入国両スタンプをパスポートに押されてしまいました。
北キプロスへの渡航実績があるとギリシアには入国できません。
無事にギリシアへ抜けることが出来るのか、ちょっと心配です。



12月10日

なんだかんだ文句を言いつつもイスタンブールを満喫した後、
チャナッカレに移動、木馬伝説で知られるトロイ遺跡を見学し、
やはり遺跡で知られるエフェス、白い石灰棚で人気のパムッカレ、
奇岩の連なるカッパドキアと、超特急で有名観光地巡りの旅を終え、
昨日、トルコにしか存在を認められていない小国・北キプロスに上陸しました。

このキプロスという島、1960年にイギリス植民地からの開放後、
トルコ系住民の暮らす北部と、ギリシャ系住民の南部で紛争が勃発、
北側がトルコの支援を受けて勝手に独立を宣言して以来、
南北の分断状態が続いています。
その分断線まで、私達の泊まっているホテルから歩いて1分、目と鼻の先!
現在も残るベルリンならぬレフコーシャの「壁」、よく観察してからトルコに戻ります。



12月8日

ネット事情が悪く、更新したくても出来ません。
ばりばりオフシーズン中のトルコ、旅行者も少なく、
気温も低く(本日のカッパドキアは雪です)、いろんな意味で寒さ全開!



11月27日

本日のイスタンブール、日中の気温が摂氏10度を下回っておりました。
寒いです。そして嫌な街です。好きじゃないんです、イスタンブール。
めぼしい観光地だけやっつけて、明後日には次の地へと向かいます。



11月26日

本日無事にタビフーフの2人、ケメ子&ケメ旦那は、
旅の中断地点であるイスタンブールへと旅立ちました。
今後は厳寒と予想されるヨーロッパに向けて、旅の再開です。
でも・・・・。
案外ケメ子の、「寒いの嫌ぁ〜!」の一言でアフリカに急遽変更!?
なんてことは、まさかないよなぁ〜。

というわけで、またまた皆様の応援よろしくお願いいたします。

タビフーフ副管理人@タッチョフ



11月24日

再出発まで残りわずかとなりました。
厳寒と予想されるヨーロッパに向け、装備を増強したせいで、
ただでさえ満タンだったバックパックに荷物が入りきらない!!
はてさて、どうしたもんでしょう。



11月22日

本日、「イイフーフ」の日。
結婚六周年の記念日を、日本の我が家で迎えました。
旅仲間を唖然とさせるほどの激しいケンカも、たまには(?)ありますが、
これからも手に手をとって、仲良く旅していきたいと思います。



11月11日

日本にいると、なぜにこんなにも時が早く流れるのでしょうね。
再出発まで、あとたった二週間。
たくさん更新したいのに、思うように作業が進みません。



11月7日

2004年11月6日、トルコにいるはずのタビフーフ、
なぜか長野市内にある「ホテル国際21」芙蓉の間に出現!!

というわけで、帰国しちゃいました。
だって出席したかったの、信毎ホームページ大賞の贈呈式〜。
詳しいレポートは、時間あったら書きます、書くだろう、多分。



10月31日

2004年10月30日。タビフーフ、アジアの最果てに到着。
旅立ちからちょうど2年と6ヶ月、訪問都市数150、
長かったアジア横断の旅は、このイスタンブールにて終結です。
さーてと、次はどの国に行こうかな。



10月29日

イラクで再度、日本人が拘束されました。
しかも今回の被害者はジャーナリストでもボランティアでもなく、旅行者だとか。

この事件を受け、一部にバックパッカー全般に対する非難の声もあるようですが、
今のイラクは物見遊山で訪ねる場所では、決して、ありませんし、
ほとんどの旅人(私達を含め)はその状況をきちんと理解し、
危険な場所には近づかぬよう自衛しています。
今に至ってなお、イラクに渡航する日本人旅行者がいたという事実は、
同じバックパッカーとして、非常に残念です。

------------------------------- 追記 -------------------------------

ご存知のように、この事件はその後、人質の殺害という最悪の結末を迎えてしまいました。
被害者となった香田さんとは、直接お会いしたことこそありませんでしたが、
同時期に同じ地域を旅してきた日本人同士、少なからず接点がありました。
ショックだし、悲しいし、悔しいです。
このような事件が二度と起きぬように、そして、
若くして亡くなられた旅人の、ご冥福をお祈りします。



10月24日

観光大国であるトルコに入国する前、私は、
「どうせトルコなんか旅行者ズレしてて、ろくな国じゃないべ」
「中東もう飽きたし、トルコなんかどーでもいんだ。早く東欧さ抜けるべ」などと発言、
完全にこの国を見くびっておりました。
そしたらどう?この心優しき人達、そして紅葉に輝く美しい大地!!
今しばらくこの素晴らしい秋を実感したく、
観光地や大都市を避け、ローカルな町ばかりを歩いております。



10月20日

エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアと四カ国に渡り、
ひとつの季節を共に過ごしてきた関取、そして佳代ちゃんに別れを告げ、
タビフーフは本日、トルコに越境いたしました。
移動するのも、食事するのも二人ぼっち。喜びも怒りも半分になっちゃったみたい。
皆でどやどやと旅した日々を振り返り、少しセンチメンタルな、トルコの夜です。



10月15日

ラマダーン。それは、イスラム暦で年に一度の断食の月。
日中は食物も、水分も、煙草さえ口にせず、
夕暮れの祈りと共に、神から与えられし幸に感謝しつつ、
その日初めての食事を口にする。

本日、ここシリアでラマダーンが始まりました。
私達にとっては、この旅で二度目の断食月間となります。と、いうことはですよ?
イスラム圏に突入してから、すでに一年以上が経過したってこと!
パキスタンに入国したのが去年の8月だから、ざっと一年二ヶ月ですよ。
そりゃモスクも見飽きるはずだ。NO MORE アザーン!!



10月8日

レバノンのトリポリから地中海沿いを北上して、
チンチョンチュンでお馴染みのシリアに戻って参りました。
トリポリに滞在した四日間、ほとんどずーっと停電で、
ネットはおろか、入浴も読書もデジカメの充電もままならない生活でしたが、
レバノンより段違いに貧しいはずのシリアに戻ってみると、
電気はバリバリ、水もダバダバ。なんでなんで?どういうこと?

それにしても、「不便」の後の「便利」って、本当にありがたいものです。



9月30日

シリアから、「中東のスイス」とも呼ばれるレバノンに入国しました。
国境の役人さん達に愛想をふりまき、
通常なら2,000円以上する30日間有効ツーリストビザを、なんと無料でゲット!
せっかくの幸運を無駄にしないために、観光や買い物に精を出す毎日です。



9月25日

シリアの物価は安く、一日ひとり800円程で生活できます(ホテル代込みで)が、
インターネットの普及が遅れているためか、ネットカフェの使用料、一時間なんと200円!
日本の物価に換算すると、一時間2,000円ってとこでしょうか。うーん、高い。



9月20日

多くの旅人達が、口々に「いい国ですよ!」と褒め称え、
以前から訪問を楽しみにしていたシリアに、お待ちかねのご到着。
が、第一印象は最悪でした。
すれ違えば「チンチョンチューン」と差別用語を投げかけられ、嘲笑され、
連れの関取(メス・19歳)なんかは痴漢におっぱいを撫でられ、
初日だけで、バカ野郎共の胸倉を小突くこと7回!
(ちなみにその内訳は、ケメ子が5回、旦那が1回、関取が1回。)
このままじゃシリア嫌いになるぞって土俵際に、優しい人達との出会いがあり、
形勢逆転、今は良い調子で旅してます。



9月14日

アンマンから日帰りで、死海に行って来ました。
塩分濃度はそこらの海の数倍、沈みたくても沈まない魔法の海!
日本で買えばン万円はするという死海の泥をほじくっては、
全身パック(髪の毛から爪の先まで)に余念ない女性陣の、その脇で、
男性陣は股間を押さえて右往左往。
なにやら死海の水、デリケートな部分にしみるんだそうで。



9月8日

ダハブの仲間達(KOちゃん、佳代ちゃん、関取)と共に出エジプト、
アカバからワディムーサへと砂漠の国土を駆け抜け、
「インディジョーンズ 最後の聖戦」の舞台となったペトラ遺跡で大興奮の後、
本日、ヨルダンの首都・アンマンに到着しました。



9月4日

「いつまで紅海で泳いでやがる!」「さっさと旅せいや!」とお怒りの皆様、
お待たせいたしました、いよいよ次なる国へ出発することになりました。
明日9月5日、愛しいダハブに別れを告げ、ヨルダンへ向かいます。



8月22日

8月14日、エジプト航空865便で日本を離れ、カイロでシリアビザを取得後、
19日の早朝、再出発の地・ダハブへ到着いたしました。
ダハブといえば前回、あまりに楽しすぎて二ヶ月も沈没しちゃった楽園天国。
再出発早々、またもや紅海に深く沈んでしまうのか!?



8月11日

日本で過ごす時間も残りわずかです。
やっておきたいことだらけのに、時間が足りない!!
食べておきたいものだらけなのに、胃袋の容量が足りない!!



7月28日

日本に帰った途端、ひどく腹を壊し、一週間もトイレにこもってました。
これまで決して清潔とは言えない環境を旅してきて、
おそらく世界一雑菌生息率の低い国に帰還したもんだから、
どうやら、身体が驚いちゃったみたいです。



7月19日

7月17日午後、一年一ヶ月ぶりに日本の地を踏みました。
最初に食べた我が家の夕食は、「かつおのたたき」「豚汁」「ごぼうの煮付け」。
おいしかったよ〜!うらやましいだろ、海外にいる皆!!

そして、18日夜、渋谷で行われた本人未公認「タビフーフ祭り」に参加しました。
外国で出会った旅人達に日本で再会。オールナイトで大騒ぎでした。
楽しかったよ〜!幹事のDD、参加して下さった皆様、ありがとう!!



7月10日

ダハブでの楽園ライフにうつつを抜かし、長らく更新を怠っておりました。
突然ですが、家庭の諸事情により、
16日より約一ヶ月、日本に一時帰国することになりました。
てなわけで、現在、喧騒のカイロでフライト待ちです。



5月20日

ダハブは、世界三大ダイビングスポットのひとつでもある紅海に面してます。
根っからの海っ子の私が、そんな場所で心ときめかないはずもなく、
毎日、近辺の珊瑚礁でシュノーケリング三昧しています。



4月22日

今泊まっている宿の近くに、絶対ボラないと評判のキオスクがあります。
噂に違わず、何を買っても定価で売ってくれます。
2£(ポンド)のジュースを2£で売ってくれます。
ごく当然のことですが、エジプトではいちいち感動できます。
他の店じゃ平気な顔で「5£!」とか言ってきやがりますから。



4月10日

イラクで日本人拉致事件が発生しました。
ちょうど友人(うちの掲示板にもよく登場してくれるDD君)がイラクにおり、
このニュースを最初に耳にした時は、ドキリとしました。
彼は急遽、今日の飛行機でイラクから脱出するとのことです。
距離的にも、キモチ的にも、イラクはあまりに近く、動揺しています。
人質になった三名の日本人が、とにかく無事に救出されますように。



4月7日

ビザの期限に追われ、後ろ髪引かれる思いでサウジアラビアを出国。
紅海をフェリーで運ばれ、エジプトに陸揚げされました。



4月4日

サナアからバスに揺られること一昼夜、サウジアラビアのジェッダに到着しました。
(旅行系サイトは数あれど、サウジからの更新はかなりレアですよ。)

国境では、特に女性への荷物検査がすさまじく厳格で、
これまで私達をあらゆる危険から守ってくれた旅行安全のお守りなんか、
封を解かれ、中身のお札を出され、ホッチキスの針を打たれ、
最後には「これ、ハサミで切っていい?」とまで言われましたが、
「切ったら不運が訪れる〜!」と騒いで、なんとか阻止しました。
まじ、冷や汗もんの入国でした。



3月31日

サウジアラビアという国は、イスラム教の精神を保護するためか、
これまで観光目的の個人旅行を完全拒否し、
先進国でありながら渡航最難関、文明国でありながら秘境、
私達も、サウジは夢のまた夢と、あきらめていた国でした。
ところが、サナアであれやこれやしているうちに、なんとビザ取得に成功!
予定のルートを大変更し、明日からサウジアラビア行ってきます。



3月18日

当面の目標としてきたイエメンに着いちゃったんで、
ここのところしばらく、旅心消沈してました。
ようやく復活し、針路も決定。今はビザ取りに奔走してます。



2月25日

オマーンから国際バスに乗り、念願のイエメン国境を陸路突破しました!
軽い尋問を愛想笑いでかわし、あっけなく入国印をゲット。
あれほど頭を悩ませたワンウェイルールの危機は、杞憂に終わりました。



2月22日

中央アジアからの旅仲間(リキマルゆーじ&リキマルコKさん)とイランで再会し、
物価の高いアラビア半島を、四人でシェアしながら旅してます。
大きな鍋まで購入し、観光そっちのけで自炊に明け暮れながら、
目前に迫ったイエメン国境の攻略法と、
どーでもいい世間話に花を咲かせる四人なのであります。



2月19日

サッカーワールドカップのアジア予選「オマーン vs 日本」、
敵地オマーンにてテレビ観戦しました。



2月7日

イランに戻っても、休む暇なくあちこち観光。
そして、次なる国への準備にも忙しく、体を休める時間もありません。
雪国から常夏へと急激な気候の変化もあり、ちょっとバテ気味です。



2月4日

「外国人を見たら容赦なく殺す」宣言しているという村々を通過し、
「外国人を殺せばひとりにつき数百$の賞金を貰える」タリバン兵の横を通り、
パキスタンまで、なんとか生きて到着。
休むことなく猛進してイランに戻り、ホルムズ海峡に近い港街へ駒を進めました。
8日には、船でUAE(アラブ首長国連邦)に渡る予定です。
それにしても疲れた。



1月26日

来ちゃった、アフガニスタン。
おっちゃん達のターバン姿も、女性達のブルカ姿(頭からすっぽり青オバQ)も、
土埃を巻上げて走る馬車も、町角で焼かれる地鶏ケバブの美味しさも、
何もかも鮮烈で、中東の情緒にどっぷり浸っています。



1月23日

「私が山に登るのは、そこに山があるから・・・・」てなわけで、
すぐそこの魅力的なアの国に、ちょっくら行ってきます。
そんな突然のルート変更でもろもろ忙しく、このところ更新がおろそかになってました。



1月22日

エスファハーン、シーラーズ、ヤズドの三都市を、超急ぎ足で観光してきました。
夜行バスでの移動が続き、もーくたくたです。



1月10日

この旅始まって以来最大の、ワンウェイ&陸路ルールの危機勃発!
当面の目的地として恋焦がれてきたイエメンが、
湾岸情勢に伴ってか、外国人の個人旅行に対する規制を強めたらしく、
陸路での入国が危ぶまれているのです。
ルールを選ぶか、イエメンを選ぶか、フーフの決断はいかに?



1月1日

新年明けましておめでとうございます!

昨年末、イラン南東部ケルマーン州のバムで大地震がありました。
私達は当日、トルコ国境に近いタブリーズ(イラン北西部)におり、
宿の親父さんからこのニュースを知らされましたが、
その後数日、ネット接続できる環境がなく、
情報収集はおろか、生存報告のメールもできませんでした。
家族を含め、皆さんにはご心配おかけしました。
私達は元気に、2003年大晦日、テヘランに到着しました。



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