近況ログ




2005年


12月30日

いきなりジンバブエにいます。諸々を考慮した結果、東に針路変更しました。
道中、ボツアナでは、動物皆無のオカバンゴデルタでサファリをし、
キャンプ場でバーベキューを囲みながら、真夏のクリスマスを堪能しました。

年末年始をハラレで過ごしたら、さて、来年はどこへ行こう?
皆様も良いお年をお迎え下さい!



12月18日

事故+遭難の精神的ダメージから立ち直るべく、
ウィントフックの超快適バックパッカーズでリハビリしてます。
清潔なシーツやお湯シャワーはもちろん、
共同キッチンと大型冷蔵庫、ふかふかソファの並んだビデオルーム、
庭にはプール、バー、ビリヤード台、そしてキュートなマスコット犬まで!
ここは本当にアフリカ?それとも知らぬ間に天国へ来ちゃったかしら。



12月13日

レンタカーでナミブ砂漠を走行中に、横転事故を起こし、
19時間後に発見されるまで、俗に言う遭難ってやつを体験してました。
救助されてから、出発地点のスワコプムンドに戻されてしまったので、
厳密にはワンウェイルール破りなんですが、
まぁ今回は命に係わる事態だったので、見逃してやって下さい。

二人とも怪我はなく、元気です。
生きて、こんな風にホームページの更新ができることを、天に感謝!
とりあえずの事後処理を終えたので、今夜これから、ウィントフックに向かいます。


ナミブ砂漠で横転事故を起こし、まぁ落ち着いて、とりあえず一枚パチリ。
この後19時間、減りゆく水と野生動物に恐怖を覚えながら、救助を待つことになる。



12月9日

強敵・アンゴラを倒し、待望のナミビアに入国しました。うわーい!!
と飛び上がって喜びたいところですが、実は問題が発生。
出発時から使い込んできたパスポートの、最後の見開きページ(空欄)に、
アンゴラ出国の際、思いっきりスタンプを押されてしまいました。
「ここには押さないで」ってシールまで貼っておいたのに、ひどい!
パスポートに空欄が少ないと、南アフリカには入国できない可能性があり、
新しいパスポートを作りたくとも、ナミビアには日本大使館がありません。

どうしよう、どうにかなるっぺ、そうだよねー、んだんだー、
それにしてもあのイミグレ官、犬のうんこでも食らってしまえっ!
なんて言ってたら、今度は第二の問題発生。
ナミビアに入国直後、東欧から愛用してきた携帯電話を盗まれました。がーん。



12月3日

アフリカ西海岸を陸路突破すべく立ち寄ったアンゴラで、私達は鬼を見た。
外資系ファーストフード屋のセットメニューが1,200円!どーん。
水もろくすっぽ出ない汚い安宿が一泊3,000円!どどーん。

アンゴラという国、長い内戦を終えたばかりで、よほど荒んでいるかと思いきや、
石油はたぼたぼ、ダイヤモンドもざくざく採れるしで、実際は超リッチ!
が、その富をごく一部の金持ちが独占し、
自分達の儲けばかり考えて物価を吊り上げているせいで、
生活水準はアフリカレベル(もしくはそれ以下)、
しかし物価はヨーロッパレベルという、すごい事態になってます。

当然、庶民の生活はぱっつんぱっつん。貧乏旅行者もぱっつんぱっつん。
手持ちの現金がなくなる前に、早くナミビアに抜けなくちゃ!



11月26日

オラ達、サイヤ星(ザイール)に「もう二度と来ねぇぞ!」とお別れして、
お隣のアンゴラって星にやって来たんだ。
そしたらその国境、両国を繋ぐ竜の道(メインルート)から外れていたもんだから、
アンゴラ側に交通機関がねぇ、車の一台も通らねぇ、筋斗雲もねぇ。
村人達も「2、3日も待ちゃトラック一台くらい通るべさ〜」とのんきに言うから、
仕方なく、閻魔大王に頼んで、国境の出入国事務所に泊めてもらったんだ。
オラ、腹減っちまって、「二度と来ねぇ」と誓ったばかりのサイヤ星(ザイール)に、
何度もノービザ入国をして、水や食料を買って来たんだ。

運良く翌朝、一台のおんぼろベンツ(すでに廃車気味)を捕まえたんだけんど、
この運転手がまた、ベジータもびっくりすっくらい強欲なサイヤ(ザイール)人で、
たった200kmの移動に、140US$(約17,000円)ものゼニーを要求してきた!
オラ、手強い敵にはワクワクしちまうから、全力でそいつと戦って、
なんとか半額まで交渉して、次の町・トンボッコまで運ばせたんだ。

トンボッコでまた丸一日ヒッチハイクをして、
今度は親切なアンゴラ人のじっちゃんに拾われ、タダで次の町に運んでもらった。
トラックの荷台でぼこぼこ道を走ったもんで、クリリンは「ケツが痛ぇ」って言ってた。
そっからまたまたヒッチして、入国してから4日目の夜に、
ようやっと首都のルアンダに到着することができたんだ。
うへー、こんなに苦労したってのに、直線距離にすっと300kmしか動いてねぇぞ!

オラ達、いいかげん疲れた。もうカメハメ波も打てねぇ。
おいヤジロベエ、ちょっくらセンズ持ってきてくれよ。



11月19日

キンシャサでは中国人蔑視が酷いそうで(アフリカはどこもそうだけど)、
街を歩くだけで、一日に何百回も侮蔑的な言葉をかけられました。
「俺らは日本人だ!」と主張すれば、今度はコロッと態度を翻し、
「日本人たぁ素晴らしい!金持ちだろ、なんかおごってくれ〜」の嵐。
ひったくりやスリにも狙われ、幸い被害はなかったものの、ホント散々でした。
キンシャサは憧れの街だったけど、もう二度と行くことはないでしょう。



11月14日

コンゴ共和国からコンゴ川を渡り、コンゴ民主共和国にやって来ました。
ってえ〜い、ややこしいわい!
この国、以前まではザイールって名前だったんですが、
1997年にお隣と同じ名前に改名にしちゃったんですね。わけわかんないです。

ここキンシャサは、以前、フジテレビ系の「ニュースの女」というドラマで、
秘境のイメージとしてその名が紹介され、
以来、私にとっては、一度は訪れてみたい憧れの地でもありました。
まさかこの旅で、陸路でキンシャサに来れるとは思ってなかったので、すごく嬉しい。
願わくは、鈴木保奈美に「キンシャサ〜!?」と叫ばれたい。



11月10日

リーブルビルからガボン国内を数日かけて南下し、5日の朝にコンゴ入り。
国境の、人口100人にも満たないジャングルの村では、
村人達と共にチョコレート色の川で水浴びし、洗濯し、
木から落ちたばかりのマンゴーや、小骨だらけの泥臭い川魚を食べながら、
いつ通るとも知れぬ「町へ向かう車」を待ちました。
3日目の早朝、遠くからトラックのエンジン音が聞こえてきた時には、
嬉しさ半分、村人達との別れる悲しさも半分・・・・・。
そこから約200kmの泥道を、14時間かけてドッタンバッコン移動し、
現在はコンゴ南部の町で、首都・ブラザビルへ向かう列車を待っています。

それにしてもコンゴの人々は、なんて純粋で、なんて親切なんだろう。
力強く、朗らかに、森と共に生きている彼らを見ていると、
私達の体にも元気がみなぎってくるのであります。
コンゴは「危ない」と言われている国だけど、訪れてみて本当に良かった!


コンゴ国内を横断する長距離夜行列車。※通勤列車ではありません!
指定席を買えない庶民は、こうして立ったままの状態で、15時間ひたすら耐えていた。



11月1日

全国数名のマニアックな読者の期待に応え、
タビフーフ、アフリカ西海岸・陸路南下ルートを選択!
「もうこの際だから喜望峰まで地べたを這って行ってやる」ミッション、始まる。
いや実際、ホームページやってなかったら絶対飛んでます、こんな面倒な地域。

この一週間はリーブルビルで、コンゴとアンゴラのビザを取得してました。
明日には南半球最初の町に向けて旅立ちます。



10月27日

リーブルビルには、品揃えの良い大型スーパーマーケットが何軒もあるので、
日替わりで、それらを一軒ずつ探索しています。
昨日なんか棚の隅っこに「ミツカン酢」を発見し、夫婦で大はしゃぎ。
ちょっと楽しすぎだぞ、ガボン!



10月25日

鬱蒼とした原生林の森を貫く、一本の舗装道路。
その道の果てには、西アフリカじゃ見たこともないような都会が待っていた!
すごいです、リーブルビル。なんだかまるで先進国みたい。
奇抜な形のビルがにょきにょき生えてるし、巨大スーパーマーケットあるし、
一般人が靴を履いてるし(西アフリカじゃみんなサンダル履きだった)、
その分物価も高いしで、今、ちょっとしたガボンショック受けてます。



10月19日

ここが運命の別れ道。いよいよヤウンデを発ちます。
東に進むか、南に進むか、どこかからサクッと飛ぶか、あくまで陸路にこだわるか。
タビフーフの今後の進路を予想して、しばしお楽しみを。



10月16日

カメルーン北部のマロウアから、バスと列車を乗り継いで一昼夜と少々、
首都・ヤウンデまで一気に南下して来ちゃって、今、ちょっと後悔してます。
マロウアは緑多く、人も穏やかだったのですが、
都会はやっぱりぎすぎすしてる。うるさいし、治安も芳しくないようです。
カメルーンビザ、ひとり10,000円もしたのに!もっとゆっくり周れば良かったよ〜。



10月11日

ニジェール、ナイジェリアとネットカフェが見つからず、更新ご無沙汰してました。
私達はキツかったアフリカ西部の旅を終え、カメルーンまで駒を進めています。

まずはサハラ砂漠の町、再び。ニジェール内陸部のアガデスを訪れました。
ドラクエの登場キャラのような衣装を着た砂漠の民・トゥアレグが、
腰帯に長刀を差し、ラクダの背に跨る姿は、まるでサムライ!渋すぎる!
トゥアレグ達に魅せられて、酷暑のアガデスに5日間も釘付けでした。

アガデスからはニジェールを南下、古都・ザンデールを経由して、
窃盗から金融詐欺までなんでもありのリアル犯罪博物館、ナイジェリアに入国。
イスラム教徒が暮らす北部は、特に危険な感じもなく、平穏でしたが、
なんとまぁグッドなタイミングでイスラムの断食月・ラマダーンが始まり、
日中は食べ物どころか水さえ手に入りにくい。煙草も吸えない。
なんでいつもこの時期に運良くイスラム圏にいるのか、フーフ、しばし悩む。

でもって昨日、ラマダーンから逃れるかのごとく、カメルーンに越境。
ここもまた、警官の腐敗や治安の悪さが囁かれる国ですが、
今のところはトラブルもなく、街の人にも親切にしてもらってます。



10月10日

タッチョフ@タビフーフ副管理人です。
パキスタン・インドでまた大きな地震がありました。被害も相当大きいようです。
バックパッカーの皆さんもたくさんいると聞いており、ちょっと心配です。
この近辺を旅しているバックパッカーの皆さん、どうかご無事であることを祈ってます。
また、日本で皆さんを心配している人たちがいると思います。
一言「無事だよ。」と連絡してあげてくださいね。

残念ながら被害に遭われた方々のご冥福をお祈りいたします。

さて、タビフーフの2人ですが、アフリカ大陸に入ってからコンスタントに更新してきましたが、
今はネット環境にないのか、更新が滞っています。
というわけで、わたくしタッチョフが久々にタッチョフの部屋「手紙編」を更新しました。
どうぞお楽しみください。

タビフーフ副管理人@タッチョフ



9月28日

“ここが変だよ日本人”という番組で一躍有名になった、あのゾマホン氏が、
彼の故郷であるベナン中部の村に自ら建立したという、
その名もズバリ、たけし小学校!を訪ねて参りました。
教室の壁には、コマネチしてるビートたけしの姿が描かれ、
村の元気な子供達も「たーけしぃ!」と述べておりました。

で、昨日、ベナンの北隣に位置するニジェールへ入国。
第一印象は、人々の表情が乏しい。貧しい。そして、暑い。


たけし小学校の面々に「本場のコマネチば教えちゃる」ケメ。
ちっがーう!股間を押さえちゃイカンよ、そこの君!



9月23日

ベナンの首都・コトヌーに、用もないのに滞在5日目。
埃っぽいし、とりたてて魅力もないけど、なんとなく好きな街。
初乗りたった20円の庶民の足、ゼミジョン(バイクタクシー)にまたがって、
日々、市内のあちこちを暴走しております。



9月21日

独裁政権崩壊後のゴタゴタに揺れる、トーゴの首都・ロメから、
超痩せ型の国土を、わずか40分のドライブで西から東に走り抜け、
お隣のベナンまでやって来ました。



9月16日

ガーナのアクラで、念願の「五ヶ国共通ビザ」をゲットしました。
一枚あればトーゴ、ベナン、ニジェールにまで入国できちゃうミラクルアイテム!
これでビザ代も、申請の手間も、残り少ないパスポートの頁も省けます。

あと、ガーナは英語圏なので、諸々の雑用をまとめて済ませました。
言葉が通じるって本当に素晴らしい!こっちの能力は覚束ないけど。



9月14日

ガーナのケープコーストで、白昼、痴漢にあいました。
周りにいた黒人達はここそとばかりに一致団結し、犯人を逃がしてやりました。
警官に事情を訴えたら、「逮捕してあげるからお金ちょ〜だい」と言われました。
ねぇブラザー、あんた達、何かが間違ってる!



9月6日

ワガドゥグにて、ガーナビザ待ち中。
ブルキナファソは、アフリカ特有のギラギラ感が薄い、落ち着いた国で、
久々にまったり休養できてます。

つーか、西アフリカってどこの国でも春雨売ってるのね。豆板醤も手に入れたし。
でもインスタントラーメンはなかなか売ってない。
昨日、市内3軒の大型スーパーをハシゴして、ようやく中国製ラーメンをゲット!
一袋575CFA(115円)もしたなり。日本より高いなりよ。



9月4日

3つの世界遺産を擁する、西アフリカで最大の観光国、マリ。
そのうち、泥のモスクが美しいジェンネ、断崖に建つドゴンの村々を急ぎ足で周り、
お隣のブルキナファソまでやって来ました。

マリで最も心に残ったのは、観光地化され腐りきった世界遺産、ではなく、
骨と皮ほどに痩せ細った、飢えた子供達の姿でした。
屋台で食事する背後に、いつも彼らが、息を潜めて立っていて、
私達が皿を置くと、そこに残った米粒を、殴り合い、奪い合って食べてました。
人間の、生への欲求が、逃げ出したくなるほど近くでこっち見てた。
これがアフリカの現実なの?すごく悲しい。



8月26日

ギニアの首都・コナクリから北部のカンカンまでの道のり、
通常なら13時間程度で到着のはずが、車の故障等々で22時間かかりました。
カンカンからマリの首都・バマコまでの道のり、
通常なら7時間程度で到着のはずが、車の故障等々で14時間かかりました。

頼むから、客を乗せた後で修理工場に向かうのはやめてけれ〜。
ガソリンは事前に入れといてけれ〜。
タイヤも交換しといてけれ〜。



8月17日

えーと、まず、数年前まで内戦状態にあったギニアビサウを訪問しました。
日本大使館では「用事がないなら絶対行かないで下さい」と忠告されたけれど、
ギニアビザの取得という立派な「用事」の為(他国でも取れるんですけどね)、
周辺で情報収集し、安全面に支障がないことを確認してから行きました。
首都の中心街ですら全く電気が通っておらず、少し不便ではありましたが、
「絶対行かないで」が聞いて呆れるくらいの、のんびりとした国でした。

ビサウからは、雨季のジャングルの中、泥の轍(わだち)を辿ること一昼夜、
役人の腐敗ぶりで名を馳せる、お隣のギニアに越境しました。
国境で早速、賄賂クレクレ攻撃の洗礼を受けましたが、断固として拒否し、
パスポートは押収されるわ、身柄を抑えられるわで、もう大変!
車に乗り合わせていた優しいギニア人、シエラレオネ人、リベリア人達の助けで、
夜になってやっと解放してもらえました。

さらに、ひょんな縁から訪れた、ギニアのとある村で、
かのオスマン・サンコンさんのお宅に泊めて頂きました(マジ)。
25人もいるという大家族全員で、突然の訪問者を歓迎してくれ、
日本で活動中のサンコンさん御本人とも、電話でお話しさせてもらいました。
愉快で明るい素敵な家族に囲まれ、めちゃくちゃ楽しかったの〜!
ありがとう、サンコンさんファミリー!ギニア、大好きになっちゃった(警官は除く)。



8月8日

ビザ申請中だったとある国、つまりスーダンで、
折も折、副大統領の事故死(暗殺?)をきっかけとした暴動が起こりまして、
すったもんだの挙句、ダカールでのビザ取得は諦めることにしました。

で、現在は、セネガルに三方を囲まれた細長〜い国、ガンビアに居ます。
ガンビアは、この旅で初めて訪れる「英語を母国語とする国」。
皆と会話ができるって、こんなに楽しいことだったのか!と興奮したり、
逆に、こんなにうざったいことだったのか!と凹んだり、ちょっと気忙しい毎日です。


ガンビアのガキんちょ達と共に、みんなでウンコ座り!



8月3日

ダカール滞在13日目、いつ発給されるとも知れぬ、とある国のビザ待ち中。
暇なんで、日本大使館の図書室で小説を借り、読書三昧の毎日を送ってます。



7月28日

日本で買える、日本を中心に描かれた世界地図上で、最も西の端にある街、
セネガルのダカールまでやって来ました。
緑の木々、原色の民族衣装、カラフルな看板やペイント!
見渡すかぎり砂一色だったモーリタニアに比べたら、
まるでおもちゃ箱をひっくり返したように鮮やかな色彩の中、
行き交う人々の肌の色は、いよいよブラック一色に落ち着きました。
ここから以南が本当の黒人社会。一気にアフリカっぽくなった感じです。

ところで先週、旦那の生誕30周年をサンルイのプチ高級ホテルで祝いました。
その日だけはエアコンの恩恵にあやかり、ちょっと贅沢な食事をして、
日本というお金持ちの国に生んでもらったことを、心から感謝して過ごしました。
出発した時は26歳だったの。ほんっと、光陰矢の如しですね〜。



7月19日

ダフラからは野菜の運搬車に乗っけてもらい、モーリタニアのヌアディブに。
モーリタニア経済の中心地という割に、ちょっと焦るくらい何もない町でしたが、
遠征に来ていたプロサッカー選手達や、出稼ぎセネガル人達と仲良くなり、
毎晩、でっかい皿の料理をみんなで囲んで、賑やかな食事を楽しみました。

ヌアディブからは、鉄鉱石を運ぶ貨物列車の、空の貨車にタダ乗りし、
砂・熱・揺れ・南京虫の四重苦と戦いながらのヘビーな12時間夜行、
さらにトラックの荷台を乗り継ぎながら、灼熱のサハラをひた走ること延べ6時間、
超美しい砂丘に囲まれた砂漠の集落・シンゲッティに、やっとこさの到着。
しかーし!夏のこの時期、小さなオアシスの村はとにかく暑くて、熱くて、
日中は日陰でも45℃、日なたに至ってはまさかの計測不能(55℃以上)!
電気は日没後の2時間しか通わず、エアコンなんて夢のまた夢なので、
昼間は「あぢー」と鳴く変種のトドのように過ごし、
夜は星空の下、濡らしタオルを体に掛け、砂混じりの風に吹かれて寝てました。

現在は首都のヌアクショットで、ちゃんと屋根と壁のあるところで眠ってます。
マリのビザも取得したので、明日にでもセネガルに移動しよっかなというところ。
これにてサハラ砂漠縦断は完了!ふぅ、後半しんどかった。


モーリタニア、ゲットーで暮らす少女達。

どこまでもどこまでもサハラ砂漠!真ん中のゴミみたいのがケメ。



7月8日

西サハラ領のダフラにいます。
砂漠の中にぽつねんとある辺境の町で、ネットカフェはさすがにありませんが、
携帯の電波が入った(!)ので、本日はモバイル通信で近況をお届けします。

「サハラ砂漠越え」というアドベンチャラスな響きとは裏腹に、
マラケシュからダフラに至るまでの26時間は、拍子抜けするほど快適でした。
道は全面舗装、道中にパーキングエリア、バスはエアコンがんがんの新型車輌、
車内では「ラストサムライ」のビデオ上映まで行われちゃったりして。
長時間座り続けたせいで旦那のお尻が破けた(ズボンのね)ことを除いては、
さしたる事件も、疲労もなく、普段の長距離移動と変わりありませんでした。

ここからモーリタニアへは公共の交通機関がないので、
明日は朝から検問所に出向き、南下する車をヒッチしてみます。



7月6日

世界有数の規模を誇るマラケシュのスーク(市場)でも、豆板醤は発見ならず。
そして私達は春雨(3袋)を手にしたまま、いよいよ明日から!
アフリカ大陸最初の難関である、サハラ砂漠越えに挑みます。
その第一幕は、ここマラケシュから、帰属問題に揺れる西サハラ領のダフラまで、
距離にして1,400km、バスで一昼夜かけての大移動となります。
七夕の夜。サハラを行く車窓からも、天の川が見えますように。


モロッコ名物、記念撮影モデルの爺さん。カメラを向けると民族衣装でポーズをとる。
モデル料は交渉次第!私達は3DH(37円)払って5ショット撮らせてもらった。

マラケシュのフナ広場は、毎晩がお祭り騒ぎ以上の騒ぎ。
夕暮れと共に100軒を越える屋台が立ち、深夜まで物凄い活気に包まれる。



7月2日

カサブランカにてモーリタニアビザ、抗マラリア薬、防虫&防犯グッズをゲット。
これでブラックアフリカへの準備は万端です。
ついでにスーパーマーケットで中国産の春雨をゲット、わお♪
でもさすがに豆板醤は売ってなかった。
くそ〜、麻婆春雨にして食べようと思ったのに!

明日は豆板醤を求めてマラケシュに旅立ちます。



6月30日

本日、カサブランカのモーリタニア領事館でビザを申請してきたんですが、
領事(まだ青年!)に、私達のあまりに長い旅を訝しがられ、
「本当に日本人か?」「金の出所は?」「アメリカとの関係はないか?」等々、
まるでスパイに尋問するかのようなロングインタビューを受けました。
あることないこと適当に答え、最終的には信じてもらえましたが、
なんか変な汗かいちゃった。ドッキドキでした。



6月28日

夜、道端のレストランで食事をしていたら、
モロッコ人の少女がてくてく近づいて来て、ほっぺに「チュ!」ってされました。
あまりにカワイイので食べちゃおうかと思った。



6月23日

アッサラームアレイクム!
久しぶりのモスクだ、アザーンだ、チャイだ、アラビア語だ!
やっぱイスラムの国は楽しいな〜。

というわけで昨日、スペインからフェリーでジブラルタル海峡を渡り、
アフリカ大陸の端の端、モロッコに陸揚げされました。
旅人の間では「世界三大馬鹿」と呼ばれるモロッコ人ですが、
みんな馬鹿みたいに優しいです、今のところ。

ちなみに残りの馬鹿はインド人とエジプト人。
うん、これは納得?



6月20日

旦那に倣って、私も髪を切りました。
仮にもスペイン、先進国のカットサロンですから、テクニックを信用してたんですが、
シクシク、カリメロみたいなジグザグ頭にされました、シクシクシク。
こんな髪型じゃもうヨーロッパは歩けないので、そろそろモロッコに向かいます。



6月16日

セビーリャ、コルドバに滞在後、グラナダにやって来ました。
ここのネットカフェは環境が良く、安いので、
グラナダ滞在中に、ホームページの遅れを少しは取り戻そうと思っとります。

そうそう、旦那が髪を切りました。肩甲骨まであったロン毛をバッサリと。
いくらか若返ったので、本人はご満悦。
このところ老けて見られがちだったので、密かに悩んでいたらしいです。



6月10日

西暦2005年6月6日、日本時間で22時10分から18分までの間、
タビフーフは「ユーラシア大陸で最も西にいた人類」となりました。
旅立ちから三年一ヶ月と少々(日数にして1,136日)、
ここまでの総訪問国数50ヶ国、総滞在都市数205ヶ所、
日本からバスや列車、船のみを使用し、全て陸路(及び海路)で、
ついに!!ユーラシア大陸最西端の地、ポルトガルのロカ岬に到達。
岬の突端に立った時のキモチは、ちょっと言葉では表現しきれませんが、
感動と、海から吹き上げる突風のおかげで、久しぶりに身体がブルっときました。

現在は再びスペインに戻り、情熱のアンダルシアを旅しています。
残り少ないヨーロッパを満喫したら、次はいよいよアフリカだー!
未知の大陸を目前に不安だらけの私達ですが、今後とも声援よろしくね。


ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬。
大陸横断を果たした感慨と、海から吹き上げる突風のせいで、思わず身体が震えた。



6月1日

パリではあまりにもナマケモノ化していたので、
最後に一念発起して、モンサンミッシェル観光に行ってきました。
レンタカーなんぞ借りちゃって、往復800kmを日帰り旅行!
もち右側車線、左ハンドル+ギアは右手操作のマニュアル車で、
無事パリへ帰り着いた時には、ドライバーの旦那はへろへろ状態。

その後、久々の長距離移動で、待望のスペインに突入しました。
バルセロナは暑くもなく寒くもなくで、毎日が絶好の散歩日和。
サグラダファミリアをはじめ、街に点在するガウディ建築を見て歩いては、
公園のベンチですぴっと昼寝♪気持ちいんだな〜コレが。


フランスはノルマンディー地方の世界遺産、モンサンミッシェルに行ってきたメェ。



5月22日

アルプスの遠景を拝むべく立ち寄ったスイスで、私達は鬼を見た。
マクドナルドのセットメニューが1,000円!どーん。
公衆トイレ使用料が一回200円!どどーん。
スイスはバックパッカーが訪れる国ではありませんね。はい、勉強になりました。

そんなわけで只今、タビフーフはパリでのんびり中です。



5月12日

ベルギーのY先生宅を出発し(お世話になりました!)、
神奈川県と同じくらいの面積しかない小国・ルクセンブルグを訪れるも、
週末の観光客ラッシュのおかげか、またもや相次ぐ満室御礼。
お隣のドイツにまで電話しまくったけど、ついに宿は見つからず、
アムステルダムの悪夢再び!駅のベンチで野宿となりました。
始発列車の到着で目を覚ました時は、なんと気温5℃!
寝袋が無かったら凍死してたかもよ!ひぇー、くわばらくわばら。

ドイツ再入国後は、フランクフルトからロマンティック街道のローテンブルグ、
そしてビールとソーセージのの美味しいミュンヘン(祝☆200都市滞在!)へと、
20年前にケメ実母と旅した懐かしのルートを、順調に辿っています。
ちなみに、この間に宿泊したホ(ス)テルは全て前もって電話予約し、
もちろん今週末の宿も既に確保済み!
だってもう野宿はしたくありませんから〜。恐ろしや、ヨーロッパの週末。



5月6日

ブリュッセルの郊外にある“ビールと大学の街”ルーヴンにいます。
こちらでは、ブルガリアで見学させていただいた日本語講座の先生で、
その後ベルギーに移住された、Yご夫妻のお宅にお世話になっています。



5月2日

麻薬と売春の国、オランダでの最初の夜は、
安いホテルが見つからず、駅のベンチで野宿しました。
駅員に怒られ、酔っぱらいにからまれ、掃除のおじちゃんと仲良くなり、
ホームレスの気持ちが少しだけわかった気がする今日この頃。

日本はゴールデンウィークですね。



4月24日

なんて優雅で美しい街なんでしょう、プラハは!
特にこの季節。桜をはじめ、色とりどりの花が街並みに彩を添えています。
桜の下で名物のチェコ産ビールをぐいっとやれば、もうほんと、至福の時。
これぞ真の「プラハの春」ってやつです。



4月17日

ザッハートルテ食べたし、ウィーン少年合唱団も観れたし。
とにかく韓国料理が辛すぎるので、そろそろチェコに逃げます。
皆さんも胃腸は大切にね!



4月16日

イタリアのベネチアから列車とバスを乗り継ぎ、お隣のスロヴェニアに。
宿探しに苦労し、結局はたった一晩しか滞在できませんでしたが、
出会った誰も彼もが超親切で、山々の景観もビューティフル!
必ず再来したい国のひとつになりました。

さらに国境を越えオーストリアに。大自然の国土を列車で横断し、
現在はウィーンにて、韓国人経営の民宿に滞在しています。
毎朝毎晩キムチ三昧なのは嬉しいんだけど、なんせ辛い。辛すぎる。



4月11日

ローマ法王の逝去により、セリエAの試合日程が変更されたおかげで、
フィオレンティーナ vs ユベントスの試合を観戦することができました。
我らが中田の登場こそナカッタものの(さぶっ)、
スタンドは大揺れ、あちこちで発炎筒が濛々と煙を上げ、
挙句の果てにはボヤ騒ぎまで起きてビックリ!
噂に違わぬ凄まじい応援ぶりと、本場のサッカー小僧気分を満喫しちゃいました。



4月8日

モスタルを出てからローマに到達するまで、十日間の道のり。

まずはバスでクロアチアへ越境。
宮崎アニメ「魔女の宅急便」のモデル地だと噂されるドブロヴニクに一泊し、
夜行のフェリーでアドリア海を渡って、イタリアのアキレス腱辺りに上陸。
御伽の国のようなアルベロベッロでイタリア最初の夜を過ごし、
そこから、映画「グレートブルー」の舞台、シチリア島のタオルミーナまで、
わざわざ!エンゾも大好き“海の幸のスパゲッティ”を食べに赴く。
しかーし、悪天候のせいで当のレストラン(屋外)は連日休業、
旦那は旦那で、パソコンの入ったカバンをバスに置き忘れるわで(後に発見)、
結局お目当てのパスタにすらありつけぬまま、無益に三泊過ごす。
夢破れてシチリア島を後にし、夜行フェリーで本土に戻り、ナポリに一泊。
こちらは天候に恵まれ、もう一つの夢だったカプリ島“青の洞窟”に入場成功!
幻想的な光景に心洗われたその翌日、遂にローマ入りを果たす・・・・。

ね?ビックリでしょ?超高速でしょ?
だってイタリア、めちゃ物価高いんだもん!もしや日本より高いんでないの?
うかつにカプチーノも飲んでらんない。
ていうか実際、まだスパゲッティも食べてない。


一度は訪れてみたかった夢の場所。カプリ島「青の洞窟」内部は、本当に青かった!

衛兵に守られて横たわる、亡きローマ法王・ヨハネパウロ二世の聖遺骸。
ローマの強い日差しの下、この姿を拝むために5時間も並んだ。
この翌日、盛大な葬儀の中、法王の遺体はヴァチカンの地下に埋葬されました。



4月7日

チャオ!イタリアから久々のご挨拶です。
紆余曲折の末にやって来たローマは、何の因果か、法王の逝去による大騒動中。
せっかくなので明日か明後日、一般弔問に行って来ようかと思っとります。



3月27日

セルビアモンテネグロのベオグラードから、
ボスニアヘルツェゴビナのサラエボ、モスタルと、
戦火の跡をたどっています。



3月22日

ブダペストで二週間、カラダもココロもたっぷり休養しました。
今夜の列車でセルビアモンテネグロへ、その後、ボスニアヘルツェゴビナを目指します。
いずれにしても国名が長すぎる。



3月15日

日本を発って三度目の誕生日を、ハンガリーで迎えました。
ヘレナハウスに集まった旅人達(その大半が卒業旅行の大学生)に、
サプライズケーキとワインで祝ってもらい、ついでに若者エキスもごちそうさま♪
元気いっぱいで次の国に向かおうと思いきや、今度は旦那が熱を出しました。
んなわけで、もうしばらくブダペストでのんびりします。



3月8日

ポーランドでは、第二次世界大戦中にナチスがユダヤ人大虐殺を行った地、
かの有名なアウシュビッツ強制収容所を見学してきました。
大量の写真、遺品、残された毛髪、それを原料に作られた布地(!)と、
ショッキングな光景を目にしたおかげか、風邪もすっかり治っちまいました。

その後、スロヴァキアでは、学徒強制収容所(大学の寮)で二晩を過ごし、
本日朝、国際列車でハンガリーへと入国。
日の丸旅人収容所(日本人宿)のヘレナハウスで、しばし骨休めの予定です。



3月2日

ここ数日、受難続きでした。
まずは、モルドバから夜行バスでウクライナへ。
早朝にキエフへ降り立ってから、重い荷を背負ったまま、街を歩き回りましたが、
安いホテルが見つからず(バストイレなしで65US$だって!)、宿泊を断念。
ボロ雑巾のようにへたばった体に鞭打ち、
その日の夜行列車で次の目的地へ移動したところ、
よく効く暖房のせいで乾燥しきったバス、そして列車で二夜を過ごしたこと、
氷点下10℃を下回る寒さ、連続移動の疲れが重なり、ついにノックダウン!
現在、リビフに停滞し、せきくしゃみ鼻水連合軍と戦っております。



2月25日

ズドラストウィッチャ!シボードニャはパルースキーで近況報告です。
ここキシナウは、パザフチェラーまで意外とニホーロドナでしたが、
フチェラーのウートラからは雪が降ってます。
モルドバの人たちはドーブルイで、食事もフクースナですが、
ガスツィニーツァがダラゴーイなのがニハラショー。
ジェーバシカがシンパチーチヌイなので、マヤーのムーシは浮かれています。
それでは皆さん、ダスビダーニャ!グッチズヴダロー。

(訳)
ちわっす本日ロシア語で近況報告です。
ここキシナウは、一昨日まで意外と寒くないでしたが、
昨日からは雪が降ってます。
モルドバの人たちは優しいで、食事も美味しいですが、
宿高いなのがNO GOOD
おねえちゃん達キュートなので、私の旦那は浮かれています。
それでは皆さん、さようなら元気でね


デリカット眼鏡のおじいちゃん。

僕、モルドバ美人と再婚しました。
麗しい白雪姫に心奪われた旦那、新郎を差し置いてツーショットに収まるの図。



2月22日

ルーマニアのトランシルバニア地方に数日間の滞在後、
昨日、国際バスで、お隣のモルドバに越境して来ました。
モルドバは、1991年にソビエト連邦から独立したばかりの新しい国。
そして私達にとっては、一年二ヶ月ぶりに訪れるロシア語圏であります!
中央アジアとコーカサスで身につけた超カタコトのロシア語をフル活用し、
その辺のおっちゃん達との会話(になってるのか?)を楽しんでいます。



2月16日

いやはや、やっと抜け出しましたブルガリア。
ビザなし滞在期限が一ヶ月ぽっちなんで、仕方なく。本当はもっと居たかったけどさ。

で、現在はルーマニアのブカレストにて、ウクライナビザを申請中。
なんか薄暗い、薄汚い、嫌な雰囲気の町ですが、
1989年に起きた脱共産革命の跡が今も生々しく残り、
「事件現場マニア」の私達にとっては見所いっぱいです。



2月8日

まだソフィアで停滞しています。美味しいモノ食べ過ぎて太っちゃった。
動けなくなる前に、そろそろ重い腰を上げねば!



2月3日

一昨日、宮沢和史(THE BOOMのボーカリスト)のライブに行ってきました。
え?どこで?どこでってブルガリアのソフィアでよ!
入場料は5LV(約400円)で、ゲストギタリストは懐かしの高野寛。
ミーハーな私達は、ブルガリアのファン達を押しのけて最前列で熱狂!
観客全員で、東欧でも大人気の名曲「島唄」を合唱して参りました。

このライブの詳細はこちらのサイトでご覧になれます。



1月24日

はるばる来たぜ、ヨーグルトの国!
入国初日の夜は、ブルガリア正教の総本山でもある「リラの僧院」の、
かつての僧房(現在は宿泊施設)で過ごしました。
世界遺産の建築物に泊めてくれるなんて、なかなか気前の良い国です。



1月21日

アルバニアから国境を越え、お隣のマケドニアにやって来ました。
マケドンスキー(マケドニア人)達は、人柄も穏やかで、かなりの癒し系。
結婚式やお祭りにも参加させてもらい、テンション上がりっぱなしのタビフーフ、
実は本日、ここスコピエで、めでたく旅立ちから1,000日目の節目を迎えました。
いつも応援ありがとうございます。多謝!

ところで、そこのあなた。アルバニア?マケドニア?どこだよそれって思ってるでしょ。
ぶっちゃけ私も、つい最近まで名前くらいしか知りませんでしたさ。
この辺り、十数年前までユーゴスラビア連邦という国の一地方だったんです。
が、ユーゴスラビアの共産主義体制が崩壊、泥沼の内戦を経て、
分裂し、それぞれ独立を果たした六つの新しい国。
そのうちの二つが、アルバニアとマケドニアなのであります。
以上、ケメ子いっぱいいっぱいのマメ知識コーナーでした。


オフリドで出会った、とってもキュートな双子ちゃん。



1月13日

ギロカストラを出発しようと思いきや、
なんとその朝から、地域の交通機関が無期限ストライキに突入!
「いつ運行再開するかはインシャアラー(アラーのみぞ知る)」だって。
レストランの一軒も見当たらない田舎町で足止めされても困るわけで、
ハイウェイの道端をうろつき、執念で乗り物を探すタビフーフ。
すると、組合を裏切って(?)物陰でこっそり客引きしているミニバスを発見♪
首都のティラナまで運んでもらうことができました。
アルバニアでの一番、押し切ってねばり勝ち。ごっつぁんです。



1月11日

ギリシア北部の世界遺産、メテオラの修道院群を見学した後、
国境を越え、お隣のアルバニアにやって来ました。
明日には首都のティラナに移動します。



1月7日

蒼い空、弧を描く水平線、輝くような白壁の家々!
少女時代からの夢だったギリシアの島巡りを終え、
エーゲ海の女神達に未練を残しつつ、大陸に戻って参りました。

アテネ、実はオリンピックの開催時期に訪れるつもりだったんですけどね〜。
いつの間にか終わっちゃってました。



1月2日

明けましておめでとうございます!本年も応援よろしくお願いします。

私達はギリシアで迎える新しい一年の幕開けに、
いつものことながら寝坊して、海から昇る絶好の初日の出を見逃しました。エヘ。
今夜はシロス島に向かう夜行フェリーで眠り、
うまく乗り継ぎできれば、明日の午後にはミコノス島に到着予定です。



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