旅先での燃ゆる思いを綴ってみました。
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選挙だワッショイ!
ウガンダがイギリスから独立したばかりの、1970年代はじめ。
学歴もない一兵士、しかもイギリス軍に属していた一介の軍人という立場から、
なにをどうやってかウガンダ軍の総指揮官にまでなった、アミンという黒人がいた。
アミンはある時の大統領選挙に立候補した際、
自分の乗ったお御輿(みこし)を白人達に担がせるという、前代未聞のパフォーマンスをし、
植民地時代に白人への恨みを募らせていたウガンダ庶民達のハートを、がっちり鷲掴み。
絶大な人気を得て、大統領に就任した。
その後、反対勢力や国内の知識人を、一説によれば三十万人以上も殺戮し、
(そしてその肉を食べていたんだそうだ。かなりキテる。)
「アフリカで最も血まみれの独裁者」というホラーなニックネームで呼ばれるようになっても、
お御輿パフォーマンスで得た国民のアミン支持率は、一向に下がらなかったという。
もしもアメリカやフランスや南アフリカ辺りの大統領選挙で、
白人の候補者が黒人の人夫に御輿を担がせた、なんてことになったら、
世界中のマスコミが人種差別だのなんだのと大騒ぎして、社会史にも残るだろうけど、
逆のパターンは、これだけ派手な話でさえも、教科書に載ってない。
それはさておき、2006年2月。
ルワンダからウガンダに入国した私達は、国境近くのカバレの町で一泊した。
安宿にチェックインし、薄暗い部屋でごろごろしていると、なにやら急に表が騒がしい。
「興味ねー」とベッドに転がる旦那を置いて、嫁ひとりで外に出ると、
車とバイクと自転車と、それに乗り込んだ大集団が、メインストリートでパレードしていた。
荷台や窓からこぼれ落ちんばかりに人を載せた、何十台ものトラックやバスが、
ブォーブォーとクラクションを鳴らしながら、ゆっくりと走り抜ける。
その車体全てに、黄色地のポスターがべたべたと貼られている。
ポスターの中央にはひとりの黒人男性の写真。
車にてんこ盛りの乗客が、手を振ったり拳を突き上げたりしながら、声高らかに叫ぶ。
彼らの多くが、真新しい、お揃いの、黄色いTシャツや帽子を身に着けている。
車列の隙を縫うようにバイクが次々走り抜ける。黄色い旗をたなびかせている。
自転車や、走って追いかけている人もいる。
ポスターの中央で笑みを浮かべる人物を指差し、「これムセベニ?」と聞いてみると、
私のすぐ隣でバスに手を振り返していた見物人の男性が、
「そうだそうだ、ムセベニ大統領!」と言ってニカニカっと笑い、
中指と薬指と小指を立てた妙なピースをしてよこした。
ウガンダはこの時、大統領と地方議員を選出する統一選挙の真っ最中で、
投票日を間近に控え、各陣営のアピール活動は最高潮に達していた。
ムセベニは現役の大統領(2006年現在)。
元軍人の彼がクーデターを起こし国のトップに治まってから、経済こそ好調に転じたが、
ウガンダ国内での民族対立とゲリラ戦は、収まるどころか拡大し、
特に危険な北部地域には、私達のような旅行者は立ち入ることもできない。
子供を集団誘拐して恫喝し、強制的にゲリラ教育を受けさせる事件が後を絶たず、
新たな社会問題にもなっている。
そして今、ムセベニは、「戦争男」という素晴らしいニックネームで呼ばれるまでになったが、
それでもまだ支持率は下がらない。
その人気の一端がこの盛大なパレードに垣間見れる。
そういえばさっきトラックに箱乗りしていた若い男も、
三本の指を天に突き上げて絶叫していたっけ。
ちょうど通り過ぎようとしているバスからも、ちらほらと三本ピースが突き出ている。
「ねぇ、これってどういう意味?」さっきののニカニカ男に聞いてみると、
「ぐうおおおおお!ムゼベニなんたらかんったらががががががっががががっ!」
と、すごく嬉しそうに私の三本指をぎぅっと握ってきた。
英語がちゃんと通じかったので定かではないが、
どうやらこの三本ピースは、”私はムセベニを支持してますマーク”らしい。
ついでなので、車から手を振る人達にも三本ピースをしてみる。
「ぎやおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ものすごい歓声。なんだか大ウケだ。バスの窓から何十本もの三本ピースが返ってきた。
面白いのでそうやってしばらく遊んでいたが、
どこまでも続く車列と、お揃いのTシャツや帽子を見ていたら、
ふと、当たり前の疑問が頭をよぎった。
このイベントのお金はいったいどこから出てるんだ?ガソリン代は誰が払うの?
いつもぼろぼろの穴だらけシャツを着てる彼らに新品のTシャツを与えたのは?
答えは考えるまでもなく出た。
翌日以降ウガンダを旅してみて分かることだけど、
この時の選挙に出馬していた他の候補者は、
誰一人として、こんな大規模なアピール活動はしていない。できない。
商店の塀に張られたポスターがカラーならまだマシで、
地方議員立候補者のポスターなんか、ほとんど全てが単色刷りだった。
やっぱり現役の大統領は資金力が違う、わけだ。
「こんな風に金を使う政治家なんか、ろくなもんじゃねぇな」
あまりの騒動に、ようやく宿の外に出てきた旦那が言った。
「これだけ金持ってるとなれば、裏で何してんのか疑っちゃうよね普通」
もしこういう候補者が日本にいたら(いたで選挙法違反で即刻逮捕されるだろうが)、
私なら絶対、投票しない。
「そこをツッコまないで浮かれてるウガンダ人って・・・・・」
私もついさっきまで三本ピースして浮かれてた身ですが。
「なんの疑問も持たずに投票しちゃうんだぜ。ムセベニがTシャツくれた、わーい!って」
衆愚政治とかなんとかって教科書で読んだ記憶があるけど、もしかしてこういうことかな。
「んむむ、かなりバカっぽいれすな」
「ぽいな、ぽいな」
そうやって悪態をついていると、なぜだか急に、記憶の隅がこそばゆくなった。
そうだ、あれはまだ、一緒に暮らし始めたばかりの頃。
私達はハタチそこそこの小童(こわっぱ)で、
週末に友達と行くカラオケでミスチルの新曲を披露することや、
伸ばした爪にきれいなネイルアートを施すことばかりに、毎日気をとられていた。
二人とも政治に全く興味がなかった、わけでもないけど、
週末はいつもあちこち遊びに行って忙しかったし、
選挙権を得てから実際に投票をしたことは、お互い、一度もなかった。
それが、とある年のとある選挙で、たまたま予定がなく暇を持て余していたこともあって、
「いっちょ日本国の政治に参加しちゃいますか」と、一念発起したのだった。
なんにせよ初体験というのはうきうきするもので、
味気ないハガキを片手に、意気揚々と近所の小学校に出掛けたまでは良かったが、
投票所の前に立った途端、あることに気付く。
「そういえば誰に投票すっか決めてないや」
「あ、私もだ」
ずらりと並んだ選挙ポスターの前でしばらく立ち止まり、
念入りに修正された候補者達の顔を眺めたが、
やたら艶々と光を放つジジババ達の顔を眺めたところで気分が悪いだけなので、
「そういう時は棄権でしょ」
「どういう時が危険なんだよ?おい、なんで?え?」
いつもの噛み合わない会話をしてるうち、いつの間になぜか、ほんとになぜか、
「それじゃま、ベスト・オブ・青ヒゲ大将に投票しときましょか」という流れになった。
各人の顎をゲラゲラ笑いながら指さし、
こいつドーラン塗りすぎ、中身は絶対ジョリジョリだろ、とか言いながら、
最終的には投票用紙にソリアト青ノ介(仮名)候補者の名を記し、
かなり満足して投票所を去った、ああ、あれはもう遥か昔の出来事。
結局のところソリアト氏は惨敗し、日本国がバカふたりの思い通りになることはなかったが、
もしも1票差でソリアト氏が当選していたらと思うと、今さらだけどごめんなさい。
そんな、若気の至り話を記憶の底からほじくりながら、
ウガンダ人をとやかく言う資格なんか俺らにはないわなぁ、と苦笑いした。
ウガンダに限ったことじゃなく、アフリカに限ったことじゃなく、
日本にだって、私達以外にも沢山いると思う。
さすがにジョリジョリっぽいからってのは少ないだろうけど、
お金をくれたからとか、有名人だからとか、医師会の通達があったからとかの理由で、
自分で深く考えもせずに投票したことのある人が。
特に若いのなんかだと、「やっべー、誰に投票する?」
「俺あいつ。プロレスラーの。乱闘になったら笑えるじゃん」みたいなことにもなる。
そしてその一票も、真摯に考え抜いた末の一票も、同じ重さの一票なのだから、
直接選挙ってなんだかすっごく怖いシステム!!
天に高々と突き上げられた三本ピースの数々を見ていたら、急に背筋が寒くなった。
でもま、さすがの大人気を誇る石原慎太郎だって、
“第三国人”にお御輿を担がせたら(そのうえ人肉を食べてたらっ)、
非難轟々を浴びて落選するだろうな。
日本人がそこまでおバカじゃなくて良かった。
その後すぐ、ウガンダでは、数日間に渡って投票と開票作業が行われ、
(その間は隣国との国境が閉まったために、私達はえらく迷惑を被った。)
現職の「戦争男」ムセベニが、得票率65%で、大統領に再就任した。