旅先での燃ゆる思いを綴ってみました。
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今日、チベット第一かつ唯一の都市である、省都ラサの、
西洋人の旅行者が集まるというツーリストカフェで、
メニューに大好きなラビオリ(肉が挟まったパスタの一種)を発見したので、注文したら、
揚げ餃子が出てきた。
さて、この「揚げ餃子」の味をお試しになりたい方は、餃子を揚げて下さい。
ただし、ヤクの肉で作った臭くて固い餃子を、です。
イタリア人が恐れをなして逃げ出すこと請け合いの世紀の一品を、ぜひご家庭でも。
チベットは標高が高いです。
州都のラサでも海抜3600m、富士山の頂上より天に近い場所にあります。
標高が高いということは、つまり空気が薄いということで、
この空気の薄さゆえ、多くの旅人が高山病に苦しみ、悶絶するはめになるわけです。
が、機能に変調をきたすのは、なにも生物に限ったことじゃなく。
チベットへの道すがら、まず最初に酸素の希薄さを実感するのは、
もしかしたらスモーカーかもしれません。
標高が高くなるにつれ、ライターの火が思うように点かなくなるのです。
私の持っていたライターも、かろうじてタバコの先に着火できる程度の、
ため息みたいな火を吐くようになっていました。
死にゆくキョシンヘイのように。
ある時、ラサに滞在する旅人同士、
それぞれのライターを見せあいっこする機会がありました。
まず、中国本土で購入されたライター達。
これはもう、目も当てられない悲惨な有様です。
ガスは充分詰まっているのに、全く火の点かないものばかり。
たまの優良品も、十回に一度程度、お情けのような小さな火が燈っては、すぐ消える。
まさにすかしっ屁です。
それに対し、チベットに来てから購入されたというライター達は、
絶頂期のゴジラのごとく、びゅんびゅんと勢いのある火を吐きます。
なんでも、この辺りで売られているライターは、
中国から運び込んだ商品に、酸素を多く取り込むよう改造を施したものなんだそうです。
低地に戻って知らずに使えば、前髪を燃やすこと必至。要注意ですな。
我らが日本製の100円ライター(最近は値上がりしてますが)は、
火力こそ小さくなれど、多くのものが問題なく使えるようでした。
「やっぱMADE IN JAPANはすげーな!」と、皆で感嘆の声をあげることしきり。
その他、アジア各国から持ち寄せられたライター達を確認しましたが、
オイルライターを除き、無事に機能するものはほとんどありませんでした。
さて、私が持っていた小さなキョシンヘイは、
相変わらず、弱った身体にムチ打って働いてくれていたので、
きっと日本製だと思って裏面の能書きを見たら、
そこには、どこかで見たシャクトリムシのような字が踊っていました。
キョシンヘイはタイ生まれだったのです。
チベットで気付かされるのもおかしな話ですが、タイはやっぱり先進国でした。
パキスタンのラホールにある安宿の屋上テラスで、そこで出会った旅人達に、
成都で見かけた凄惨な修羅場(↓「マクドナルド事件簿」参照)について話をしていると、
中国を自転車で旅してきたという日本人チャリダーの彼が、あっさりこう言った。
「あ、僕ね。男と喧嘩して車に体当たりしてった中国人女を見ましたよ」
・・・・・・ほんと、オンナって怖いんですね(特に中国の)。気をつけましょう。
今朝ねぇ、麗江から27時間にも及ぶ大移動を経て、成都に着いたんすわ。
そんで、あんまり疲れてて、ちょっとコーヒーでも飲みたいねってんで、
奮発して、久々にマックに入ったんですわ。
そしたらね、隣の席にいた若いカップルの女の子が、
喧嘩してんのか別れ話でもしてんのか、オエオエと泣いてるんすよ。
彼氏が優しくなぐさめても、なかなか落ち着かないらしく。
ま、そんなことは日本でもよくある光景なので、さして気にもしてなかったんですが、
しばらくして、その彼女がよろめきながら席を立って、
おおかたトイレにでも行ったんだと思うんですが、
帰って来たと思ったら。
なんと、手首からタラタラと血を垂らしているんすよ。
よく見れば、手の甲に至らんばかりに真一文字の傷口が、サックリでパックリ。
これにはビビった!まーじで!
幸い、というよりむしろその女の思惑として、
傷はそれほど深くなく、命にはこれっぽっちも別状なさそうだったし、
彼氏がやけに冷静に「あ、またやっちゃった」くらいの表情で、
彼女の手首をハンカチで縛っている風景が、
なんか、妙に笑えちゃいましたが。
その後、女は完全に開き直った様子で、
彼氏ばかりか周囲の客にまでガンたれまくっていたので、
とばっちりを受けて刺される前に、さっさと逃げて来た私達でした。
けどほんと、世界中どこ行っても、オンナって怖いんですね。気をつけましょう。
昆明にあるバックパッカー御用達ホテル、昆湖飯店のすぐ近くに、
「西餐(西洋料理)」の看板を掲げた小さなカフェがある。
今日そこで、チキンハンバーガーを注文したら、
こんがり焼いたメロンパンに鶏そぼろが挟まった、ギャグのような食べ物が出てきた。
さて、この「メロンパンバーガー」のお味をお試しになりたい方は、
お近くのパン屋かコンビニで購入したメロンパンを、こんがりキツネ色にトーストし、
鶏のそぼろを挟んじゃって下さい。
絶妙に甘くてマズい世紀の一品を、ぜひご家庭でも。
モンラーから景洪まで、雲南省の山道を走るミニバスに乗っていた。
私達は最後尾より一つ前の席を陣取り、窓に映る風景を楽しんでいた。
そのうち、バスが山中の小さな村を通過した。
待ち構えていた村人が、バスに向かって大きく合図した。
村人達は皆、泥が付着し穴だらけのボロを着ていた。
バスが止まり、数人が窓の外に駆け寄ってきた。
彼ら全員、頭髪が、なぜか揃いも揃ってレゲエスタイルなのが見えた。
鶏と豚がエンジン音に驚き走り回っていた。
七人の村人が、そのミニバスに乗り込んできた。
その瞬間、生まれて今まで嗅いだことのない、強烈な悪臭が漂った。
四人は男で、三人は女だった。
超高濃度に臭かった。どんな化学変化でも作り出せない強烈な臭いだった。
男の一人は最前方に座り、一人が旦那の前の座席に陣取った。
三人の女達は、私達のすぐ背後、最後尾の四人掛けに並んで座った。
目がしょぼしょぼと痛くなってきた。
残りのふたりの男が、通路を挟んで旦那の隣と、その前の一人掛けに座った。
タビフーフは囲まれた!
近くで見ると、レゲエなヘアスタイルが、ただ洗髪不足のためだと分かった。
他の乗客達が一斉に窓を開けた。運転手も開けた。もちろん私も開けた。
気遣いの国ジャパンからやって来た私は、普段なら相手の気持ちを慮り、
窓を開ける→あんたは臭いとアピールするようなことは避けるが、
この時ばかりはどうにもこうにもならなかった。
新鮮な空気を摂取しなければ、こちらの寿命が縮む。
もしかすると、このままバス内で突然死するかもしれない。可能性は大。
爽やかな風がどうっと吹き込むと同時に、烈臭が車内を舞った。
ミニバスの車内は狭く、座席にして二十席ほどしかなかった。
そのうちの七席から発する瘴気は、もはや常軌を逸していた。
通路側の旦那は悲惨だった。
固く目を閉じ、悲痛な表情でひたすら呼吸を止めていた。
七人の臭い村人達は、なぜか嬉しそうに頬を上気させていた。
「お出かけ、お出かけ、ルンルンルン」ってな上機嫌ぶりだった。
彼らは、周囲の苦痛を知る由もなく、おしゃべりに花を咲かせた。
花咲きどころか鼻裂きだった。
特に背後の女性陣からは、独特かつ強烈な異臭がする。
不潔を極めると男性より女性の方が臭いと言うが、あれは本当だ。
旦那が「ううう」と呻き声をあげた。
固く閉じた瞼から、涙がつらつら流れていた。
新宿の地下道でも、相当な臭いの主を見かけることがあるけれど、
彼らの発する臭気は、日本のハードホームレスのそれとは比べ物にならなかった。
「今!日本で最も臭い七人!」コンテストで選ばれた精鋭を戦わせても、
この村人達に勝てるとは思えなかった。
臭いと言うよりは、もはや毒ガス。人体にとって確実に有害だ。これは凶器だ、武器だ。
私は窓から顔を出し、おもむろに大きく深呼吸してから(それでも瘴気を避けられない)、
一息に「来年あたり、米軍が彼らを雇うだろうね」と旦那に言った。
旦那は「むぅ〜っく」と変な返事をした。私は夫の命の危機を感じた。
もうろうとする意識を正すため、
人間という生き物が、どうやったらこれだけ臭くなれるのか考えてみた。
少なくとも一年以上は風呂に入ってはいけない。当然、水浴びも禁止。
もしかしたら生まれてから今まで、一度も体を洗ったことがないかもしれない。
中国にはもともと、風呂に入るという習慣が無い。
都会でも多くの男性が、人民スーツの肩や背中をフケだらけにしていた。
食事にも気を配るべきだろう。肉、しかも珍獣中心の食生活を心がけましょう。
排泄時も注意深い行動が欠かせない。紙で拭いたり水で洗ったりはご法度だ。
私はまた外の空気を吸い、「きっと服を着たままおしっこしてるね」と息も絶え絶えに言った。
旦那はフーッと息を吐いたきり、何も答えなかった。
数十分後、次の町で七人が降りた。
永遠よりも長く、天竺までよりも遠い道のりだった。
車内の空気が無害なものと入れ替わるにはしばらく時間を要したし、
鼻腔の奥に染み込んだねちょねちょした何かが、半日以上も私達の臭覚を麻痺させたが、
とにかく、危機は去った。
私達は命があることを神に感謝した。
????????×????????幸い、鼻はまだ曲がっていなかった。
息を吹き返した旦那が「人間って家畜より臭いな、雑食だもんな」と変な感想を述べた。
安心したもの束の間。
最後列の座席がぐっしょりと濡れていることに気付いた。
くたびれたクッションからは、琥珀色の液体が滴っていた。
生ぬるい香りが漂った。
驚愕した。
本当に服を着たまま、バスの座席で、彼女らはやったのだ。小便しくさったのだ。
私達のすぐ後ろで、ゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
仮にも次の五輪開催国、自ら「先進国」を名乗る中国で、本当にあった怖い話でした
ムアンシンから一気に国境を越えて、再び中国に戻ってきました。
さっそく安ホテルに駆け込み、宿泊の交渉をします。
英語は通じませんでしたが、日本人は漢字が書けるので大丈夫です。
横から、勝手に通訳してくる困ったオヤジが現れました。
私達はこのオヤジを知っていました。
こいつは人力タクシーの運転手です。
さっきバスターミナルで、白人さんに声をかけていた奴です。
しかしながら、こいつの英語はダメダメでした。
余計な通訳のおかげで、これまで順調だった筆談が妨げられました。
ちょっと邪魔だったので、「助けは要らないよ」と英語で言いました。
オヤジは理解できず、キョトンとしていました。
オヤジは、「ツモロー、ジンホン?クンミン?」と聞いてきました。
この町は、ラオス国境から雲南省中部へ抜ける中継地なので、
バスを紹介して手数料をもらいたいんだなコイツ、と思いました。
更に邪魔になったので、「バスは要らないよ」と中国語で書きました。
それでもオヤジは、めちゃくちゃな通訳を続けました。
もしかしたらこのオヤジは、ただの親切な人なのかもしれません。
気になったので、「フー アー ユー(あなたは誰)?」と聞いてみました。
するとオヤジは、「ハウ アー ユー(ご機嫌いかが)?」と左手を上げて答えました。
おまえは森(元)首相か!と、心の中でツッコミました。
さらに中国語で同じ問いを繰り返すと、
オヤジは「アイ アム イングリッシュ テーチャー!」と答えました。
嘘をつくな、嘘を。
要するに、私が言いたかったのは、
森(元)首相が我が国の外交史に残した、偉大なる足跡についてです。
舞台は沖縄。
志半ばにして亡くなった小渕首相の後を継ぎ、
サミットを成功させようと努力を惜しまなかった森先生は、
せめて挨拶だけでもと、苦手な英語を勉強されたそうです。
森先生は、彼の指南役に教えられた通り、何度も反芻しました。
森先生 「ハウ アー ユー?」
相手 「ファイン センキュー エンヂュー?」
森先生 「ミー トゥ!」
しかしその本番、当時のクリントン米大統領を前に、緊張されたのでしょうか。
森大先生は、こう切り出してしまったのであります。
「フー アー ユー(おまえは誰だ)?」
クリントン大統領は、とっさの機転を利かせて、こう返さられました。
「アイム ヒラリーズ ハズバンド(ヒラリーの旦那ですよ)!」
森大先生(早稲田大学卒)は、練習の成果を存分に発揮し、答えました。
「ミー トゥ(俺もだ)!」