旅先での燃ゆる思いを綴ってみました。
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カンボジアのシェムリアプからタイ国境までの道は、
誰が名付けたか「ダンシングロード」と呼ばれる、有名な悪路だった。
赤茶けた柔らかい土を地均ししただけのその道は、特に雨季ともなると路面が泥と化し、
タイヤが凹凸を捉えるたびに、車体はバッタンボッコンと飛び跳ねる。
積荷である人間達があられもなく宙に浮き、頭や体をひどく打ち、悶絶する姿は、
まるで踊っているようにさえ見えたんだそうだ。
なぜ過去形で書いているのかと言うと、
私達が2002年の7月にダンシングロードを通った時(まさしく雨季の真っ最中だった)、
道は舗装こそされていないが意外に整っており、
途中、陥没した橋で車を乗り換えるというアクシデントはあったが、
ほとんど踊ることなく、タイに抜けることができたからだ。
そりゃもちろん揺れたし、頭だって何度か天井にぶつけたけど、
「これがあの有名な悪路?」ってくらいあっけないものだった。
もっと酷い凸凹道ならいくらでも知っている。
中国の山奥なんかじゃ比べ物にならないくらい踊った。フィーバー(死語)だった。
あれが頭を軸にしてクルクル回るブレイクダンスくらいの難易度だったとしたら、
ここの悪路は隣の人を手を繋いでウネウネって波を作るやつのレベルだ。初歩的だ。
不思議に思って、バンコクで東南アジア歴の長い旅先輩に聞いてみたら、
「あ、あれねぇ。最近のカンボジアは観光に力が入ってるからさ、
タイから陸路で来る旅行者に期待して、道の整備を頑張っちゃってるんだよ。
昔は酷かったよ〜、昔つっても二年とかしか経ってないけどね。
当時はあそこ通って痔を悪化させた奴も相当いたんだよ」と教えられた。
それから数ヶ月後、私達はインドで旅を中断し、
ベトナムはホーチミンの英会話学校に通うため、バンコクへ飛んだ。
それで、今度はタイ側から例の「ダンシングロード」を越え、陸路ベトナムに向かったのだが、
道は以前に比べ、また格段に良くなっていた。
ツーリストバスの車内が異様に蒸し暑いことを除けば、充分に快適な旅だった。
さらに二ヵ月半後、ベトナムでのお勉強タイムを終え、私達は三度、あの道を通った。
そしたらなんと、ちらほら舗装されているではありませんか!
まだほんの一部(10%未満てとこ)ではあるが、
灰色のコンクリートの施された部分が、確かにあった。これには驚いた。
私は思った。この道についた異名が忘れ去られる日は近いだろう、と。
でも、どんな時も忘れないでいるわ。
伝説の「ダンシングロード」で体中に青アザを作り、
痔を悪化させて泣いた、あの頃の旅人のことを。
以下のやりとりを読んで、設問に答えなさい。
警官 | はいそこのバイク、止まりなさい。ここは二輪進入禁止区域だ。 ・・・・・・おや、君達は外国人か? |
フーフ | はい、日本人です。 |
警官 | (一瞬眼光をキラリとさせてから) そうかい。君達は今、交通違反の罪を犯した。わかるかい? |
フーフ | はい、知らなかったものですから。すみませんでした。 |
警官 | 君達には罰金を支払ってもらわなければならない。 |
フーフ | あのー、おいくらですか? |
警官 | んーとね、・・・・・・・・20$♪ |
フーフ | た、高ッ! わかりました、お支払いしますが、もちろん領収書はいただけますよね? |
警官 | (ちょっとうろたえ気味に) 領収書は出せないが、君達は20$払わなくちゃいけない! |
フーフ | もちろんお支払いしますとも、ペナルティーですものね。 でも残念ながら私達、20$もの大金を持ち合わせていません(嘘)。 一度ホテルに戻ってから、お金を持って署に出頭します。 警察署はどこですか? |
警官 | 警察署に来る必要はない、ここで支払えばそれで終わりだ。 その方が君達にとっても楽だろう? |
フーフ | ですから今、持ち合わせがないので(嘘)。 |
警官 | んー、なら10$でいいや。 |
フーフ | 10$もありません(嘘)。 必ず出頭しますから、警察署の場所を教えて下さい。 |
警官 | (戦法の変更を余儀なくされ) ・・・・・・・・・・あのね、君達?コカコーラを飲んだことあるだろ? |
フーフ | (不意をつかれて) はあ?・・・・・・・・・・ええ、まあ。 |
警官 | こんな暑いさなかで検問していてね、
お巡りさん達ノドが渇いているんだよ。 だから、コカコーラの一杯でも飲みたいんだ。 |
フーフ | はあ。 |
警官 | だーかーらー! 君達がコーラ代を出してくれたら、交通違反のことは忘れてあげるよ。 いいアイデアだろ? |
フーフ | あ、そういうことね。じゃあコカコーラ買って来ますから。 えーと、ひいふうみい・・・・・・・・10人分ですね? |
警官 | いいっていいって、10$払えばいいからさ。 |
フーフ | え?だってコーラ飲みたいんじゃないんですか? |
警官 | 自分達で買いに行くからいいって!10$払えって! |
フーフ | (ニヤケ顔を隠しきれず) いやいや、買ってきますってばー。 |
警官 | だめ!ここで10$ちょうだい! |
フーフ | (かなり勝ち誇った顔で) じゃあ、見逃してくれなくて結構です。署に行って罰金払って来ますわ。 |
警官 | (すねて) もういい、行けよ。コーラ買いに行けよ! |
フーフ | (余裕を見せて) じゃあ一人残りましょうか?だってほら、逃げちゃうといけないでしょ? |
警官 | (さらにすねて) いいってば、二人とも行っちゃえよ。ふんだ! |
フーフ | じゃあ行きますよ?いいんですか? |
警官 | ・・・・・・・・・・・コーラ、10人分買ってきてね。 |
設問 A | 警官が請求したお金は○○である。 ○○にもっとも適切な言葉を、以下の選択肢からひとつ選びなさい。 |
一、 交通違反の罰金 二、 公務執行妨害の罰金 三、 コカコーラ代 四、 賄賂 |
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設問 B | フーフがこの後とったと思われる行動を、 以下の選択肢からひとつ選びなさい。 |
一、 誰がコーラなんか買うもんかボケ!と、ばっくれた。 二、 罰金じゃ仕方ないので、ギンギンに冷えた缶コーラを10本進呈した。 三、 コーラを12本購入し、談笑しながら一緒に飲んだ。 四、 コーラ(賄賂)を受け取る警官の反応が見てみたかったが、 普通に奢ってやるいわれもないので、 ペットボトル入りのぬるーいコーラを一本購入し、 ガンガン振った後、 警官に渡してそっこー逃げた。 |
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設問 C | 設問 B の行動の結果、警官が示したと思われる反応を、 以下の選択肢からひとつ選びなさい。 |
一、 怒り狂ってフーフを逮捕した。 二、 こいつらマジ買ってきたよ、アホじゃねーの。 三、 コーラを12本購入し、談笑しながら一緒に飲んだ。 四、 コーラを頭上に仰ぎ抱え、小躍りまでして喜んだ。 |
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設問 D | フーフがプノンペンの街をバイクで疾走していた目的を推測し、 以下の選択肢からひとつ選びなさい。 |
一、 アンコールワットを見に行くため。 二、 万里の長城を見に行くため。 三、 ナイアガラの滝を見に行くため。 四、 タイの女優が「アンコールワットはタイの物よ!」と意味不明な説を唱えたせいで、 怒り狂ったカンボジアの暴徒に、ほんの10日前に焼き討ちされたばかりの、 在プノンペンタイ大使館を見に行くため。 |
電波少年のもとに集った元ヤンさんと元ヒッキーさん達が、道を舗装を終え、
見事にライトアップされたアンコールワットへと感動的なゴールを果たしたのは、
私達が日本を発つ少し前、2002年春の特番でのことだった。
彼らが身を粉にして舗装したタイ国境からの数十キロメートルは、実際には、
別の国境からカンボジア主要部へ延びるメインルートを逸れた、枝道に過ぎなかったが、
道端でテント生活を営みながら、厳しいシゴトを成し遂げ、
なにより、全員が無事に生還したことは、
少なくともカンボジアの近年の歴史を知る人には、かなりの衝撃だったに違いない。
現在、観光客が持ち込む多額の外貨は、
内戦後のカンボジア経済を支えるためになくてはならない現金収入となっている。
それだけに、唯一のドル箱であるアンコールワット遺跡群の周囲では、
道路や高級ホテルなどの観光インフラが、劇的なほどのスピードで整備され、
ネギを背負ったカモ達が安全に遺跡を見物できるよう、
地雷の撤去を含めた治安確保が徹底されている。
カンボジア人の年収にも相当する額をたった一日で落としてゆくリッチメーン達が、
不意に襲われることのないよう、そして快適な滞在を楽しむよう、
周辺住民への教育にも特に力を入れている。
その成果か、アンコールワット遺跡群の観光拠点となるシェムリアプは、
カンボジアの他の地域と比べ、群を抜いて安全な町となった。
世界一「危険」に敏感な日本の団体旅行客も、連日のように押し寄せる。
もともとが朗らかな性格のカンボジア人も、ますます明るく好意的で、
英語はもちろん、日本語を話せる者さえ少なくはない。
電波少年の歴史を遡ること六年、1996年に香港を旅立った猿岩石は、
今では東南アジアを周遊する旅の王道に収まっているカンボジアを、わざわざ迂回し、
ということはつまり、東南アジア随一の見所であるアンコールワットにわき目もふらず、
隣国のラオスを経由して、タイへと向かっている。
私達は、カンボジアの首都プノンペンで、
ちょうど猿岩石が東南アジア辺りで食うや食わずの日々を送っている頃、
初めてこの国を訪れたという、旅のベテラン「キムチさん」に出会った。
六年前、まだまだ危険が残るカンボジアへの入国を翌日に控えたキムチさんは、
隣国のベトナムで、ひとりのオーストラリア人と出会った。
彼もまた、キムチさんより一日遅れでプノンペンへ向かうということもあり、
意気投合し、ホーチミンで過ごす最後の夜を共に楽しんだ。
二日後、再会の約束を果たそうと彼を待ったキムチさんだったが、
待ち人は現れなかった。
オーストラリアからやって来た旅人は、カンボジアへの入国を果たすも束の間、
内戦の残党であるゲリラに襲われ、プノンペンにたどり着けずして死んでいたのだった。
その後、たった数年の間に、カンボジアの治安は劇的に向上した。
飛行機以外に安全な手段はないと言われてきた国内の移動も、
次第に、ゲリラ船が追いつけないスピードを持つ高速艇へと取って代わり、
今ではバスで事足りるようになった。
そして、日本からはるばる道の舗装をしにやって来た男達は、
長く無防備な道端での生活を、事件に巻き込まれることなく終えた。
もちろん、今でも時折、運の悪いツーリストが強盗にあったり襲撃されたりする。
手放しで夜道を歩けば、たとえ殺されても、誰も同情はしてくれない。
が、そんな事件の噂話さえ、数年のうちには生々しさを欠いていくだろう。
1996年、猿岩石がアンコールワットを迂回した頃。
日本では、アムラーと呼ばれるゴン黒姉ちゃん達が渋谷センター街を闊歩し、
マラソンランナーの有森裕子さんは、自分で自分を褒めていた。
ほんの六年前のことだ。